大判例

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広島高等裁判所 昭和60年(ネ)185号 判決

控訴人

亡花岡峰義訴訟承継人

花岡スエコ

外二三〇名

右控訴人ら訴訟代理人弁護士

外山佳昌

井上正信

右訴訟復代理人弁護士

阿左美信義

原田香留夫

山田慶昭

高村是懿

相良勝美

恵木尚

服部融憲

緒方俊平

西本克命

馬淵顕

国政道明

島方時夫

加藤寛

泰清

坂本皖哉

佐々木猛也

二國則昭

阿波弘夫

長谷川裕

中尾正士

藤木賞之

神原博道

山田延廣

石口俊一

小笠豊

臼田耕造

木山潔

大国和江

島崎正幸

被控訴人

右代表者法務大臣

三ケ月章

被控訴人

広島県

右代表者知事

藤田雄山

右被控訴人ら指定代理人

宮越健次

外三名

被控訴人国指定代理人

丸山浩

外六名

被控訴人広島県指定代理人

今田輝二

外七名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人ら

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人らは、控訴人らに対し、各自、別紙請求金額目録記載の各金員(ただし、控訴提起後の訴訟承継人については、別紙請求金額訂正目録記載の金員)及びこれらに対する昭和五〇年九月二〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

4  仮執行の宣言

二  被控訴人ら

1  主文同旨

2  仮執行免脱の宣言

第二  当事者の主張及び証拠関係

当事者の主張は、次のとおり付加するほか、原判決事実摘示のとおりであり、証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりである。

一  原判決の訂正

1  原判決B二〇二頁四行目、同二〇三頁一〇行目の「国立岡山病院」を「岡山早島療養所」に改める。

2  原判決B三七〇頁二行目の「生食」を「生理的食塩液」に改める。

3  原判決C六七頁四行目の「反射的論」を「反射的利益論」に改める。

4  原判決C一〇一頁一一行目の「四五・二・二五」を「四五・三・二五」に改める。

5  原判決C一六三頁一〇行目の「被害者」を「加害者」に改める。

6  なお、原判決中(理由欄も含む)「国立広島病院」とあるは「国立療養所広島病院」、「尾道総合病院」とあるは「広県県厚生農業協同組合連合会尾道総合病院」、「因島病院」とあるは「日立造船健康保険組合因島病院」、「瀬戸田病院」とあるは「県立瀬戸田病院」、「岡山市民病院」とあるは「総合病院岡山市立市民病院」を意味する。

二  一審原告らの死亡と相続

1  控訴人らの主張

(一) 一審原告花岡峰義(患者番号1)は、昭和五九年一一月二九日死亡し、同人の妻控訴人花岡スエコ(相続分二分の一)、長男控訴人花岡重幸(相続分一二分の一)、二男控訴人花岡時彦(相続分一二分の一)、長女巻幡サチ子の長男控訴人巻幡克則(相続分二四分の一)、同じくサチ子の二男控訴人巻幡大造(相続分二四分の一)、二女控訴人津國直子(相続分一二分の一)、三男控訴人花岡滿人(相続分一二分の一)、四男控訴人花岡雄二(相続分一二分の一)が亡花岡峰義の権利義務を右相続分に従って相続により承継した。

(二) 一審原告柏原忠男(患者番号4)は、昭和六三年七月五日死亡し、同人の妻控訴人柏原キミコ(相続分二分の一)、長女控訴人楢原英子(相続分八分の一)、二女控訴人寺岡由美子(相続分八分の一)、長男控訴人柏原昌文(相続分八分の一)、二男控訴人柏原帝二(相続分八分の一)が亡柏原忠男の権利義務を右相続分に従って相続により承継した。

(三) 一審原告須山保樹(患者番号6)は、昭和六二年六月一七日死亡し、同人の妻控訴人須山トキコ(相続分二分の一)、二男控訴人須山惠(相続分八分の一)、三男控訴人須山芳正(相続分八分の一)、四男控訴人須山常男(相続分八分の一)、五男控訴人須山重成(相続分八分の一)が亡須山保樹の権利義務を右相続分に従って相続により承継した。

(四) 一審原告大黒イサミ(患者番号8)は、平成五年四月一四日死亡し、同人の長女控訴人宮地美佐子(相続分四分の一)、長男控訴人大黒博(相続分四分の一)、三女控訴人川崎伊都子(相続分四分の一)、二男控訴人大黒弘之(相続分四分の一)が亡大黒イサミの権利義務を右相続分に従って相続により承継した。

(五) 一審原告楢原忠勝(患者番号11)は、平成元年一二月四日死亡し、同人の長男控訴人楢原盛義(相続分三分の一)、二男控訴人楢原孝幸(相続分三分の一)、三男控訴人楢原和男(相続分三分の一)が亡楢原忠勝の権利義務を右相続分に従って相続により承継した。

(六) 一審原告小林スズエ(患者番号19)は、昭和六二年二月八日死亡し、同人の長女控訴人星野榮(相続分七分の一)、二女控訴人乗る〓原タケ子(相続分七分の一)、四女控訴人村上洋子(相続分七分の一)、長男控訴人小林康延(相続分七分の一)、二男控訴人小林輝正(相続分七分の一)、四男控訴人小林茂雄(相続分七分の一)、五男控訴人小林豊(相続分七分の一)が亡小林スズエの権利義務を右相続分に従って相続により承継した。

(七) 一審原告岡野一子(患者番号33)は、平成元年一月一四日死亡し、同人の夫岡野菊一(相続分二分の一)、同人の長男控訴人岡野昭俊(相続分一四分の一)、長女控訴人岡野ツヨ子(相続分一四分の一)、三男控訴人岡野幸雄(相続分一四分の一)、四男控訴人岡野光三(相続分一四分の一)、二女控訴人岡野順子(相続分一四分の一)、五男控訴人岡野正(相続分一四分の一)、六男控訴人岡野求(相続分一四分の一)が亡岡野一子の権利義務を右相続分に従って相続により承継し、岡野菊一も平成二年七月二五日死亡したので、同人の右相続にかかる権利義務は右控訴人らが均等の割合で相続により承継した。

(八) 一審原告岡野五郎(患者番号35)は、平成四年五月一八日死亡し、同人の妻控訴人岡野定巳(相続分二分の一)、長男控訴人岡野操(相続分一〇分の一)、長女控訴人白川マスエ(相続分一〇分の一)、二女控訴人村上八代子(相続分一〇分の一)、三男控訴人岡野吉喜(相続分一〇分の一)、四男控訴人岡野寛治(相続分一〇分の一)が亡岡野五郎の権利義務を右相続分に従って相続により承継した。

(九) 一審原告岡野セツ子(患者番号37)は、平成二年一〇月一五日死亡し、同人の夫控訴人岡野明(相続分二分の一)、長男控訴人岡野學(相続分六分の一)、三男控訴人岡野拓志(相続分六分の一)、長女控訴人出本フサ子(相続分六分の一)が亡岡野セツ子の権利義務を右相続分に従って相続により承継した。

(一〇) 一審原告岡野ヤエ子(患者番号42)は、昭和六二年一二月三〇日死亡し、同人の長男控訴人岡野松太郎(相続分二分の一)、長女岩井多美子(相続分二分の一)が亡岡野ヤエコの権利義務を右相続分に従って相続により承継した。

(一一) 一審原告阿部ノブエ(患者番号45)は、昭和六一年五月二五日死亡し、同人の夫控訴人阿部輝男(相続分二分の一)、長女控訴人池田好子(相続分六分の一)、二女控訴人藤永桂子(相続分六分の一)、三女住永初子(相続分六分の一)が亡阿部ノブエの権利義務を右相続分に従って相続により承継した。

(一二) 一審原告岡野トシエ(患者番号47)は、平成四年一二月六日死亡し、同人の夫控訴人岡野義三(相続分二分の一)、長男控訴人岡野強志(相続分二分の一)が亡岡野トシエの権利義務を右相続分に従って相続により承継した。

(一三) 一審原告新川マサ子(患者番号50)は、平成四年一〇月二二日死亡し、同人の夫控訴人新川數廣(相続分四分の三)、兄福田瀧夫の子控訴人福田隆(相続分五六分の一)、兄福田瀧夫の長女控訴人伊藤とし子(相続分二八分の一)、兄福田瀧夫の三女控訴人池本直江(相続分二八分の一)、兄福田瀧夫の四女控訴人向山美佐子(相続分二八分の一)、弟控訴人福田光義(相続分八分の一)が亡新川マサ子の権利義務を右相続分に従って相続により承継した。

(一四) 一審原告田川クラノ(患者番号57)は、昭和五九年八月二一日死亡し、同人の長女控訴人田川フミ子が亡田川クラノの権利義務を全部相続により承継した。

(一五) 一審原告楢原末藏(患者番号58)は、昭和六〇年九月六日死亡し、同人の妻控訴人楢原ヨシコ(相続分二の一)、長女控訴人西田百合子(相続分一六分の一)、二女控訴人川本静子(相続分一六分の一)、三女控訴人津國照子(相続分一六分の一)、四女控訴人星野良美(相続分一六分の一)、五女控訴人岡野伊津美(相続分一六分の一)、六女控訴人谷秀子(相続分一六分の一)、七女控訴人楢原美咲子(相続分一六分の一)、養子控訴人楢原文夫(相続分一六分の一)が亡楢原末藏の権利義務を右相続分に従って相続により承継した。

(一六)一審原告山本アサノ(患者番号63)は、平成元年六月一二日死亡し、同人の夫控訴人山本秀治郎(相続分二分の一)、長男控訴人山本勝(相続分一四分の一)、三男控訴人森本順一(相続分一四分の一)、長女控訴人栗崎百合子(相続分一四分の一)、五男控訴人山本泉(相続分一四分の一)、六男控訴人山本時治(相続分一四分の一)、七男控訴人藤田秀勝(相続分一四分の一)、三女控訴人山本末美(相続分一四分の一)が亡山本アサノの権利義務を右相続分に従って相続により承継した。

(一七) 一審原告上田サトコ(患者番号64)は、平成三年八月六日死亡し、同人の二男控訴人上田千里(相続分六分の一)、長女控訴人藤井初惠(相続分六分の一)、二女控訴人上田雪美(相続分六分の一)、三女控訴人畠山芽子(相続分六分の一)、四女控訴人宮脇幸美(相続分六分の一)、五女控訴人鴨川哲子(相続分六分の一)が亡上田サトコの権利義務を右相続分に従って相続により承継した。

(一八) 一審原告畑中トヨノ(患者番号66)は、平成二年八月三一日死亡し、同人の夫畑中〓太郎(相続分二分の一)、同人の長男控訴人畑中初次(相続分一四分の一)、長女控訴人渡壁玉子(相続分一四分の一)、二女控訴人中村房子(相続分一四分の一)、三女控訴人川上艶子(相続分一四分の一)、四女控訴人松本澄子(相続分一四分の一)、二男控訴人畑中美根次(相続分一四分の一)、三男控訴人畑中孝元(相続分一四分の一)が亡畑中トヨノの権利義務を右相続分に従って相続により承継し、畑中〓太郎も平成五年七月二六日死亡したので、同人の右相続にかかる権利義務は右控訴人らが均等の割合で相続により承継した。

(一九) 一審原告波戸岡義明(患者番号67)は、平成四年四月二七日死亡し、同人の妻控訴人波戸岡節枝(相続分二分の一)、長男控訴人波戸岡愛満(相続分六分の一)、長女控訴人稲田厚子(相続分六分の一)、二女控訴人中本恒子(相続分六分の一)が亡波戸岡義明の権利義務を右相続分に従って相続により承継した。

(二〇) 一審原告川原シノブ(患者番号71)は、平成三年一月一五日死亡し、同人の長女控訴人宮脇惠美香(相続分四分の一)、長男控訴人川原通夫(相続分四分の一)、三女控訴人長谷川愛子(相続分四分の一)、三男控訴人川原勇(相続分四分の一)が亡川原シノブの権利義務を右相続分に従って相続により承継した。

(二一) 一審原告友成榮市(患者番号75)は、平成三年六月二〇日死亡し、同人の妻控訴人友成ナヲヨ(相続分二分の一)、長男友成昭の長男控訴人友成浩二(相続分一二分の一)、同じく昭の長女控訴人古本泰子(相続分一二分の一)、二男控訴人佐々木桂三(相続分六分の一)、長女控訴人牧本恭子(相続分六分の一)が亡友成榮市の権利義務を右相続分に従って相続により承継した。

(二二) 一審原告野坂貞一(患者番号76の1)は、昭和六一年一月三〇日死亡し、同人の養子控訴人野坂逸志が亡野坂貞一の権利義務を全部相続により承継した。

2  被控訴人の認否

1のうち、(一)、(一四)は認めるが、その余は知らない。

三  当審における主張

(控訴人ら)

1 結核予防法の保護法規性及び客観的注意義務について

(一) 結核予防法は、憲法一三条、二五条の理念を背景にして国民の健康保持を直接の目的とするものであるから、個人の注意力だけではとうてい防止しえない伝染病である結核から無防備の国民の生命・身体を保護する法規として機能すべきものである。知事・保健所長は、結核予防法上の規制権限を予防的に行使することを個々の国民・住民に対する法的義務として負担する。

結核予防法は、スモン訴訟における従前の薬事法、カネミ訴訟における食品衛生法、サルモネラ訴訟における医療法のように本質的性質として取締法規性を有しない。結核予防法は、端的に直接に国民の健康を保護法益とする。薬事法や食品衛生法のように医療品や食品の安全確保を第一次の目的として間接的に国民の健康を保護法益とするものではない。しかも、結核予防の機能は、知事・保健所長にしか与えられず、住民はひとえにその行使を期待するしかないのである。

右のとおり、結核予防法は、本質的に保護法規性を有するものである。

このような結核予防法の保護法規性に照らし、知事・保健所長は、自然発生の通常の度合いからすれば、発生頻度に異常があることを認知した場合には、結核予防法上の権限を適切に行使して、届出医師に対し事情説明を求め、あるいは調査究明のために必要な資料や情報の提供を求め、更には第三者研究機関(例えば結核研究所等)に助言指導を求めるなどして原因究明を尽くさなければならない。調査研究の権限について明示の規定がないのは、結核発生の態様・症状・予防方法などが異なるという技術的な理由からであると解すべきである。

原判決が、知事・保健所長に緊急避難的行政行為として条理上の作為義務しか認めないのは、結核予防法の保護法規性を正しく理解していない。

(二) 知事・保健所長は、前述のとおり、単なる自然感染の集積ではない結核の異常な発生―感染源の何たるかは別にして―を知り得べきときには、結核予防法上の作為義務としての調査究明義務、すなわち、集団発生を認知し、その感染源を究明するために調査する義務を負うと解すべきである。「自然発生の偶然の集積にしては多すぎないか」と結核の専門知識を有している行政機関が感じ得たときにこの調査究明の注意義務が発生する。

すなわち関節結核の集団発生を客観的に疑い得べき状況にあり、これを認知していたか、仮に認知していなかったとしても、通常の注意を払っていれば十分にこれを認知し得たときに、調査究明義務が発生する。この異常を認知した時期から、更に疑われた集団発生についての共通因子を探究し、感染場所及び感染源を究明すべき義務が生ずる。その結果、特定の医療機関を感染場所とする集団発生の差し迫った危険を知り得べき状況に至ったときに、その結果回避に向けての作為義務が発生するのである。

原判決は、ある一定の地域において特定の医療機関を感染場所として結核が集団発生し、またはそのおそれがあり、右医療機関に通院する患者らを中心とする地域住民に差し迫った危険が生じ、右状況を知事・保健所長が容易に知ることができる場合に初めて知事・保健所長は作為義務を負うに至るとするが、知事・保健所長の作為義務は、そのような緊急事態になって初めて発生するというようなものではない。

(三) 右調査究明の中心となるべき保健所長は、その注意義務を果たすべく高度の知識と経験を有する医師が充てられることになっているし、県と相談したり、それまでの結核予防医学、とりわけ集団結核の予防・感染場所・感染源の調査究明に関する知識や研究成果を活用したり、厚生省や研究機関等に諮問・調査依頼したりすることができるのであって、調査究明を可能にする客観的物理的条件は備っている。保健所長は、初期活動(流行調査、疫学調査)の内容と方法に関して十分な能力を有し、それを行うだけの結核登録票、公費負担申請書等の資料も掌握していた。これらを活用すれば、短期間に感染場所である奥医院に到達できた。

保健所長や知事に課せられるべき注意義務は、その専門職的地位に通常要求される客親的且つ標準的な注意義務でなければならない。

原判決が、調査究明の注意義務遂行の基準をたまたま十分な知識をもたず、調査究明の意欲もなかった当時の広島県知事や永田三六因島保健所長の立場からみた主観的事情に求めているのは、不当である。

2 不作為の違法性について

知事・保健所長において、結核予防法により直接国民の生命・健康を維持増進する目的で付与された権限を行使しない不作為が違法となるには、次の要件をみたすことが必要であり、それで足りる。

① 国民の生命・身体・健康に対する被害発生の危険があること

② 行政庁において、右発生の危険を知り、又は具体的に知り得べき状況にあること

③ 行政庁が危険回避に有効・適切な権限行使をすることができる状況にあること

これを本件についてみるに、以下のとおり、因島保健所長の権限不行使が違法になる要件は充足している。

① 国民の生命に対する被害発生の危険(すなわち、奥医院を感染場所とする結核まん延の危険)は、多数の者に症状があらわれた昭和四四年秋ころ、遅くとも最初の関節結核患者の登録のあった昭和四五年二月三日の直前ころにはあった。

② 因島保健所長は、昭和四五年二月末には、関節結核の登録患者数の異常を知り得た。結核の集団発生を疑って感染源を特定するための調査究明義務を尽くすには、長くとも一か月の期間で足る。具体的には、届出資料の調査、患者の面接調査、医師の面接調査、既存の資料調査、文献調査などの調査により、奥医院を感染場所とする関節結核の集団発生の事実を容易に認識し得た。

したがって、因島保健所長は、昭和四五年三月末には、奥医院を感染場所とする結核まん延の危険を予見できた。

少なくとも、永田因島保健所長自身が関節結核の異常多発に気付いた昭和四五年四、五月ごろから調査究明を行っても、昭和四五年五月末には、右危険を予見できたことになる。

遅くとも、昭和四五年八月には関節結核の患者数の異常から、その感染源等の調査究明を行うべきである。

③ 因島保健所長は、奥医院を感染場所とする結核まん延の危険を予知した時点で、直ちに通院者の通院を停止し、通院患者の面接調査・健康診断などをして関節結核患者の発見に努め、予防投薬・治療を行い、損害の発生・拡大を防止すべきであった。

仮に、権限不行使が違法になる要件として、国民の生命・身体・健康に対する具体的危険が切迫し、その危険を知っているか、容易に知り得る場合と容易性を要件に加えるとしても、本件において因島保健所長は容易に具体的危険を知り得たものである。

3 予見可能性―予見義務としての調査究明活動―について

(一) 結核の集団発生においては、国民があらかじめこれを予知し、感染源・感染場所・感染経路から回避して、感染を予防し、感染した場合には発病前に予防することを期待することはとうてい不可能である。結核は、社会病であるが故に、結核予防法により、結核予防義務とその義務を遂行する諸権限が知事・保健所長に与えられている。

結核のなかでもとりわけ集団結核の場合には、被害防止の手段を行政が講ずることへの社会的要請が強く、国民は行政に要請するしか手段がないのである。

生命・身体に対する侵害の危険性があるにもかかわらず、被害者側に被害防止の手段がなくこれを行政に依存せざるを得ない場合には、予見可能性は高度な注意義務として抽象的危険の可能性をもって足りると解すべきである。すなわち、集団結核を疑うべき状況下では、奥医院という具体的な予見可能性がなくとも、何らかの特定の原因による集団結核の発生の可能性、及び放置すれば住民の生命・身体に被害が拡大する可能性の予見で必要かつ十分である。

保健所長としては、集団発生を疑わせる結核患者の登録があれば、それが一定の地域に生じた一般的な集団発生であろうと特定の医療機関を感染場所とした集団発生であろうと(集団結核を右の二つに分類することは、疫学調査の結果で明らかになる分類であり、事前の現象面では区別はできないから、この二つを区別して予見可能性を論ずるのは意味がない)、その感染源・感染場所・感染経路について迅速に調査究明(疫学調査)する初期活動をすべき注意義務がある。

初期活動が非常に重要であることは、結核の集団発生だけでなく、その他の伝染病の集団発生又はそのおそれが生じた場合にも、強調されている。なぜなら、伝染病の場合、その原因を放置しておけば患者の続発や大量発病の危険があり、それを防止し、患者の発生を最小限にとどめるには、その原因(感染源や感染経路等)の究明が必要であり、そのため疫学調査が行われるが、的確な疫学調査を実施するには迅速な初期活動が不可欠であるからである。

保健所においては、日常的な通常業務として、伝染病の流行や食中毒の発生に対して初期活動を含めた予防や防止行為を実施している。

例えば、昭和四二年に東京都本郷地区で発生した腸チフスの集団発生、昭和四三年六月ころ発生した本駒込地区で発生した腸チフスの集団発生、昭和五三年一一月ころ池之端文化センターに関連したコレラの流行において、保健所の適切な初期活動が実施され、潜在患者を発見したり、感染経路や感染源を究明した実例がある。また、「食中毒要領の改正について」(昭和三九年七月一三日環発第二一四号厚生省環境衛生局長通知)や「腸チフスの集団発生における疫学的調査の実施について」(昭和四一年一一月一六日衛防第六一号公衆衛生局防疫課長通知)などで初期活動の要領が示されている。また、公衆衛生従事者にとっての教科書ないし参考書である「伝染病予防必携」等においても、疫学調査、とくに流行の発生原因を調査する流行調査の方法論・原則論は明らかにされている。

本件において、疫学調査を実施することは、特殊な知識経験を要する困難な調査ではなく、食中毒や伝染病の集団発生に際して通常行われている疫学調査の手法を応用しさえすれば、短期間に感染場所である奥医院に到達できるのである。

また、保健所長は、集団結核の発生した場合には、県衛生部に通報し、県の協力を要請すべきであることはもちろん、厚生省や結核予防会の協力・援助を求めることができる。感染源の調査究明義務を尽くすためには右協力・援助を求めるべきである。

本件の関節結核の場合には、それ自体感染の危険性がなく、肺結核から二次的に発生すると通常考えられているから、格別迅速な初期活動は必要ない、との指摘があるかもしれない。しかし、関節結核の患者にも肺結核を併合し、それが感染源になる危険性があり、また、一次感染(通常は肺結核)の感染源が関節結核患者の近くに存在している可能性があるから、関節結核自体に他への感染の可能性がないとしても、初期活動が必要とされることは同じである。

保健所長には、結核予防法の常時監視システムによる管内の結核情報が集中し、集団結核に対して適切に処置しうる権限が付与されている。過去の集団結核発生の事例の経験に照らしても、集団結核原因は容易に予見可能である。関節結核のみの多発という本件の特殊性を考慮しても、初期活動としての調査究明活動は、肺結核の集団発生の場合のそれと何ら異なるところはないし、過去の接種結核による集団結核は、いずれも発生事例の少ない肺外結核の一種であるリンパ節結核であったから、肺外結核の集団発生も十分ありうるわけで、関節結核のみの多発という本件の特殊性は、なんら迅速な初期活動の妨げとなるものではない。

一定地域に一定の期間内に普通に期待されるよりも多くの結核患者が発生したことにより、集団結核を疑うことになるが、右集団結核の発生が疑われる場合には、患者の治療は医療機関が担当し、保健所長としては、①原因の究明と除去、②続発の防止、③潜在患者の発見という公衆衛生活動が期待される。これを的確に行うためには、早期に疫学調査を行うことが重要である。

(二) 因島保健所長としては、本件において、以下のような初期活動を行うべきであった。

医師から結核の届出があった段階で、患者の住所・氏名・性別・職業、病名、初診年月日、届出医師の住所・氏名は判明している。保健所長は、集団発生の原因究明を目的として、直ちに保健婦に患者の家庭訪問を指示し、直接面談して事情を聴取させなければならない。具体的には、患者の既往症の病名、治療期間、治療方法等をできる限り詳細に聞取り調査して、結核登録時やそれまでの病状、治療状況、排菌状況、更には関節結核の発病部位を調査し、家族感染の有無、患者の行動、人的交流状況等も調査すべきである。

右のような患者を中心とした調査に並行して、保健所長は、患者の発生状況の概略(流行像)を把握する作業を行わなければならない。それは、関節結核の患者について、結核登録の時期、人数、年齢、職業、住居等を区別し、分類統計や図示してみて分析することである。

また、保健所長は、既存の資料と比較しながら関節結核の発生状況を把握しなければならない。保健所には、管内の結核患者の情報が集中されていたし、県単位で作成される衛生統計年報等過去の結核の発生状況を明らかにする統計は完備していた。更に、保健所長は、管内の結核の発生状況について、県に対し、年末に提出する定期報告のほか、毎月の報告をしていた。これらの既存の資料により、過去に肺結核の異常多発がなく、かつ、当時においても関節結核の患者数に比例するほどの肺結核患者が届け出されていないことが判明したはずである。

結核を届け出た医師との情報交換・情報収集も忘れてならない。

更に、因島保健所長は、関節結核の異常な多発に気付いたときには、速やかに且つ丹念に上級機関に報告・連絡し、事態の解明・解決に助言・指示等の協力を求めるべきであった。

保健所長は、これらの調査作業により得られた情報を分析・検討し、更に原因究明に向けての調査項目・調査範囲を検討し、引き続き調査を進めなくてはならない。

右のような初期活動を適切に行えば、①永田因島保健所長が当初予想した潜在する多数の肺結核患者が存在しないこと、②関節結核の登録患者にも肺結核の合併症や既往症がないこと、③保健所が把握している結核発生状況に関する統計資料によっても過去に肺結核が異常に多発していないこと、④脊椎カリエス以外の関節結核のみ多発することは臨床上あり得ないこと、⑤登録患者の発症部位をみれば関節結核の中でも発症の少ない膝関節に多発していること、⑥登録患者の家族に肺結核患者はいないこと、⑦自然感染では極めて稀な複数関節に発症している患者がいること、の諸事情が明らかになり、本件の関節結核の多発が自然感染による発症ではない、と疑わざるを得ないのである。

そして、発症経緯や発症部位について重点的に患者に対して調査をすれば、①発症部位について従前から治療を受けていたこと、②患者らに共通する医院として奥医院が存在すること、③奥医院通院後に関節結核が発病していること、④奥医院での治療部位と発症部位が一致すること、⑤奥医院での治療が関節への注射であること、などの共通因子が明らかになる。

共通因子の源である奥医院を調査すれば、奥医院での治療が関節へのステロイド注射であることや奥医師及び竹原看護婦の健康状況などが判明し、控訴人らの発病と奥医院での治療との間には重大な関連のあることが鮮明に確実になる。

(三) 永田因島保健所長は、右のような迅速な初期活動を行っていれば、容易且つ早期に奥医院に到達し得たにもかかわらず、迅速な初期活動を行わなかった。

すなわち、昭和四五年三月に合計四名の関節結核の患者の登録があった時点で、保健婦に患者らに対する面接調査すら指示していない。管内の結核の発生状況の統計はもちろん、全国的統計に照らして、関節結核の発生比率の異常性や過去の肺結核の多発の有無等が認識できたし、届出医師からの情報収集もできたのに、何もしていない。永田因島保健所長は、肺結核患者が多数潜在しているとの判断の誤りに気付かず、例年秋に行われる一般住民の健康診断の結果を待つという致命的な誤りを犯した。

4 回避可能性―結果回避の作為義務―について

(一) 広島県知事・因島保健所長が、関節結核の発生・まん延の危険を知り、又は具体的な知り得べかりし時期から、原因究明とその除去、続発の防止、潜在患者の発見のための必要な作為義務を負うことになるが、その時期は、以下に主張する時期である。

(1) 昭和四五年三月の段階

昭和四五年二月には、関節結核の新規登録患者が三名に達した。同月三日、亡村上ノブエが左膝関節結核で、同月九日に竹田ウメノが両膝関節結核で、更に控訴人ら以外の患者が関節結核でそれぞれ登録されている。

結核の罹患率は、結核全体の一〇パーセントが肺外結核であり、肺外結核の一〇パーセントが関節結核である。すなわち、結核全体の一パーセント程度が関節結核であり、人口一〇万人当たり一、二名、多くて三名の割合である、といわれている。また、関節結核の全国的な有病率(要治療の結核患者の割合を示す)は、人口一〇万人当たり三ないし五名である、とされている。

ところが、因島保健所管内の昭和四五年二月段階での結核の新規登録患者数をみれば、全結核一〇に対して関節結核が三という高い罹患率であることは直ちに理解できるところである。当時の因島市の人口はおおよそ四万人であるから、人口比率からみても罹患率及び有病率が極めて高いことは明白である。

更に、因島市の過去の統計数値と比較しても、新規登録患者数が異常であることは明らかである。すなち、昭和四三年及び昭和四四年の二年間において、一か月に三人もの関節結核が登録されたことはない。月にせいぜい一人である。三人という人数は、これまでの一年分に相当する。そして、前年の昭和四四年八月から関節結核の新規登録はなく、昭和四五年二月になって突然三名の登録となった。統計上の一年分がたまたま一か月に集中したにすぎないと見逃すことはできない。

因島保健所長は、医師の資格を有し、公衆衛生業務に従事してきた経歴を持ち、結核について疫学的な知識、とりわけ結核の罹患率・有病率・関節結核の発生機序について知識を有していた。

したがって、因島保健所長としては、一か月の間に三人もの関節結核患者の新規登録があったことが結核の罹患率及び有病率からみて異常であることは十分認知できたものである。肺結核の多発も統計的にはなく、関節結核のみの異常な多発に気付くことは当然のことである。また、通常の結核は骨から関節に発展していくのに登録患者が関節のみの結核であることは不自然な発病であること、竹田ウメノのように両膝に発症することも自然感染としては極めてまれであること、一次結核としての肺結核がないことなどの関節結核の発生機序からしても、自然発生とは考えられないものであった。竹田ウメノの公費負担申請書に添付された診断書には、奥医院の存在をうかがわす「某医」で膝関節の注射を受けているとの記載がみられる。

因島保健所長がこの異常に気付き、前述の初期活動を適切に行えば、竹田ウメノと亡村上ノブエとに共通していることは、どちらも膝の痛みを訴えて奥医院で通院治療を受けていたことが判明する。そこからは、三人の患者の治療内容や症状の経過等の調査が残るだけである。

右のような調査は、短時間で可能である。

昭和四五年三月末には、奥医院を感染場所とする関節結核の集団発生又はそのおそれがあることが明白になり、因島保健所長は、その原因の究明と除去、続発の防止、潜在患者の発見のために必要な作為義務を負っていた。

(2) 昭和四五年五月二一日の段階

永田因島保健所長自身、昭和四五年四月、五月ころには関節結核の登録患者の多いことに気付いている。すなわち、四月一〇日には村上シズエが両膝関節結核で、同月一六日には川本勝が右膝・左肩関節結核で、同月一七日には波戸岡義明が右膝関節結核で、同月二〇日には岡野孝子が左膝関節結核で、翌五月二一日には大黒イサミが右肩関節結核でそれぞれ登録されている。これだけ登録が続けば、その異常性は明らかである。結核の罹患率及び有病率からしても異常性は決定的である。

因島保健所長が前述の初期活動を適切に行えば、右登録患者が肺結核からの二次感染でないことが明白になり、患者全員が奥医院で治療を受け、その後発病していること、治療部位と発症部位とが一致していることが明らかになる。

右初期活動は一、二週間あれば十分できる。

したがって、永田因島保健所長の認識を前提にしても、昭和四五年五月末、遅くとも同年六月中旬ころには奥医院を感染場所とする関節結核の集団発生又はそのおそれがあることが明白になり、その原因の究明と除去、続発の防止、潜在患者の発見のために必要な作為義務を負っていたことになる。

(3) 昭和四五年八月二六日の段階

昭和四五年八月二六日の時点において、同年一月一日からの関節結核の新規登録患者が二一名に達している。

因島保健所長は、この数の多さからだけでも発病が人為的なものであると断定することができ、且つ、そうすべきであった。

そして、八月の段階の方が、緊急性が高く、保健所の総力を挙げたより迅速な対応がされたであろうから、遅くとも同年九月末までに結果回避が可能になる。

したがって、因島保健所長は、遅くともこの時点において、原因究明と除去、未だ発病していない感染者の発見・予防の作為義務を負っていた。

(二) 被控訴人らは、関節結核の自然発生による多発、潜在的な肺結核患者の存在を疑うのは無理からぬことであり、人為的な原因を疑うことはできなかった旨主張している。

しかし、自然発生による関節結核は、肺結核と同じ慢性病であり、感染から発病まで相当長期間の経過が必要であり、感染の状況・BCG接種の有無等の様々な因子が関係して発病までに至る期間が決まるのであるから、肺結核の集団感染があっても、ある月にまとまって関節結核が発病することは有り得ない。また、関節結核の発生に比例して肺結核が多発しているとすれば、毎月の肺結核の登録数に反映するはずであるが、右の事実はなかった。更に、登録された関節結核の患者が肺結核患者の集団から発生しているとすれば、肺結核を併発していなければならないが、肺結核の併発の事実もなかった。

肺結核及び関節結核の発病と病理、我が国の結核統計の実績と制度、管内の結核登録状況、関節結核患者の登録数の異常さからして、関節結核の自然発生を疑う発想はナンセンスである。

そして、注射の際に結核が感染することは医学常識であったことも考慮すれば、人為的感染に気付くことは容易であった。人為的原因が考えられるようになれば、調査究明義務の緊急性、切迫性が要請される。

ところが、因島保健所長は、前述のように、関節結核の異常発生があったにもかかわらず、必要な初期活動を行うことなく、関節結核の集団発生を回避・防止する措置(具体的には、奥医院でのステロイド関節注射が中止されれば、事実上、結果回避は可能であった)をとらなかった。

(三) なお、右作為義務発生の時点において、奥医院への通院を止めていた患者については、奥医院での治療中止は問題にならないが、結核に感染しながらまだ発病していない者及び発病しながら関節結核であることが分からないで治療を続けていた者について、奥医院での関節結核の集団発生が分かれば、結核感染の有無の診断及び関節結核の治療をより早い時期に適切に行うことができ、手術による後遺障害を残す等の結核の被害の発生・拡大を防止できたのであるから、被控訴人らの作為義務違反と控訴人らの損害発生との間には、因果関係がある。

5 因島保健所長と広島県知事との関係

保健所長と県知事は、行政機関としては一体として結核予防行政に従事しているのであって、権限を分掌しているにすぎない。結核予防行政に携わる者として、自己本来の職務権限の範囲に安穏をむさぼることなく、行政機関相互間において、情報の交換・知識の提供・技術能力の供与等が必要であり、また、そのことが可能であった。

したがって、県の機関である保健所長が登録数の異常性を認識すれば、それが直ちに県知事の認識である。行政内部における情報伝達の遅延の責任を控訴人らに転稼してはならない。

仮に、県の認識を保健所長の認識とは別個に考えるとしても、保健所長は、伝染病食中毒統計のための簡速月報・精密月報を作成し、毎月結核患者を分類整理して県衛生部に報告しているし、結核予防法三四条、三五条の公費負担申請手続において公費負担を決定した患者については患者票が三通作成され、その一通が広島県予防課に提出されているから、関節結核の登録の異常性の認知は、因島保健所長のみならず広島県知事においても直ちに認識できる。

6 損害について

(一) 麓マツエ

麓マツエは、左膝関節結核で治療を始め、次いで両肩関節結核、両膝関節結核となり、左膝関節滑液膜除去、両肩関節滑液膜除去、右肩関節固定、左肩関節固定と五回にわたる手術を受け、昭和四七年一〇月一二日一旦退院したが、同月一八日農薬自殺をした。

その治療経過、退院の動機、退院から死に至るまでの経過をみれば、関節結核の発病が麓マツエの自殺の原因である。

同人の関節結核と死亡との間には因果関係が存在する。

(二) 畑岡真之助、野坂トシコ、村上金四郎、桝本キヌヨ、村上常春

これらの者は、直接の死因そのものが肺結核、関節結核であるか、直接の死因の原因が肺結核、関節結核であるから、関節結核と死亡との間に因果関係がある。

(三) 楢原忠勝

楢原忠勝は、左肘関節結核と診断登録されており、関節結核と死亡との間には因果関係がある。

(四) 村上ノブエ

村上ノブエは、昭和四四年一一月に症状が現れ、昭和四五年一月六日に入院したときには、敗血症、関節結核と診断され、そのまま症状が悪化し、同年二月八日に死亡した。

短期間に関節結核が発病し、悪化し、死に至った経過からして、関節結核と死亡との間に因果関係はある。

(五) 上田サトコ

上田サトコは、肺結核患者でもあり、肺繊維症と肺結核との関連は強いから、関節結核と死亡との間に因果関係が存在する疑いが強い。

(六) 死亡した者を除く患者の後遺障害

関節結核の発病・治療の結果、後遺障害が残った。いずれも高度な関節機能障害である。男性は、一家の支柱として、女性は一家の主婦として、それぞれ家庭を支える中心であった者ばかりであり、後遺障害の影響は本人のみならず、同居家族への深刻な影響を与えている。

(被控訴人ら)

1 控訴人らの主張1(一)及び(二)(結核予防法の保護法規性及び客観的注意義務について)は争う。

(一) 結核予防法が知事・保健所長に各種の規制権限を与えているのは、国家公共の利益を守り、公共の福祉を増進するためである。その目的において、結核予防法は他の保健衛生分野における法律と異なるところはない。結核の予防は、住民の保健衛生思想の向上、適切な医療上の処置、行政庁の適正な活動等があいまって、その成果をあげ得るものであって、知事・保健所長のみしか予防措置をとり得ないものではない。

本件は第一次的には、奥医師の医療過誤による不法行為責任が問責されるべき事案であり、知事・保健所長の責任は第二次的なものである。

(二) 結核予防法は、知事・保健所長に各種の権限を与え、知事・保健所長はこれを適正に行使すべき責務を負っているけれども、この責務は、国ないし地方公共団体に対して負担する義務であり、直接に特定の個人に対して負担する法律上の義務ではない。知事・保健所長が右権限を適正に行使しなかったからといって、直ちに国家賠償法上の作為義務違反ないし不作為の違法性の問題を生じるものではない。

結核予防法の規定する知事・保健所長の権限行使は、いずれも結核予防という事項のもつ高度な専門性及び技術性にかんがみ、更には行政の一環として政策的考慮の必要性に基づき、程度の差はあれ裁量権が認められているのであるから、右裁量の範囲内にある限り、右権限の不行使が違法とされることはない。これら権限の行使の前提としてあるいはこれと並行して、結核患者の適正な治療のために必要と認められる場合に、知事・保健所長に明文の規定のない一定の調査を行う権限があるとしても、その調査の性質上高度の専門性と技術性とを有する事項に関わるものであり、結核予防法が調査についてその時期・対象・手段方法等を規定しなかったことから明らかなように、知事・保健所長は、右調査権限の行使に当たっては、幅広い裁量権を有する。したがって、右のような調査権限の不行使が国家賠償法上違法となることは原則としてあり得ない。

(三) 公務員が裁量性を認められた職務を遂行するに当たっては、その種の職務を遂行するうえで通常必要とされる能力を有する公務員を前提に、右の公務員なら何人であっても行ったであろう行為を行わず、あるいは公務員なら何人も行わなかったであろう行為を行った、というほどに不合理なものであったか否かを基準にして、違法性を判断すべきである。

2 控訴人らの主張2(不作為の違法性について)は争う。

(一) 公務員は、例えば警察活動のように直接個人の生命、身体及び財産を保護することを通じ、国民の権利と自由を保護し、公共の秩序を維持することをもって目的とするような場合を除き、行政の目的のもつ一般的・抽象的性格からして、原則として特定の個人との関係で行政の組織及び作用に関する法令によって付与された権限を行使する義務を負うものではない。また公務員は、公益目的を実現するに当たっては、その専門的、技術的な知識と情報を活用し、多種多様の利益の比較考量を行ったうえで、最も効果的な手段方法によって活動すべきものであるから、その権限行使には裁量が認められており、これが最大限尊重されるのでなければ、その使命を達成し得ない。それゆえ、その立場に置かれた公務員であれば何人でも当然にその措置をとり他の措置はとらなかっただろうといえる例外的な事情があってはじめて、当該公務員には右の措置をとるべき義務があると解されることになる。

したがって、当該公務員が権限を行使しないことが不作為の違法と評価されてもやむを得ないとみられる例外的な事情がある場合というのは、以下の事情すべてが存在する場合である。

① 特定の個人の重要な法益、例えば生命、身体、健康に対する侵害が現に存在するか、又は侵害の危険が切迫している状況にあり、かつ、当該公務員において右の事実を認識しているか、又は当然に認識すべきものであること

② 法令、慣習あるいは条理上第一次的にその被害を防止すべき責務のある者がいないか、あるいはいても被害を防止する措置を講じておらず、かつ、その措置を講ずることを期待しえない特段の事情が存し、その結果被害防止のためには、当該公務員において権限行使する以外に方途が存在しないこと

③ 権限行使の前提となる事実関係が既に明確であるか、そうでないとしてもこれを容易に把握することができ、かつ、法令上定められている実体的・手続的要件を充足しているか、又は容易に充足し得ることが明らかであること

④ 権限を行使する上で人員・施設等の人的、物的な制約がなく、かつ権限の行使を可能とするだけの十分な期間があること、

⑤ 権限行使によって第三者の法益に対する侵害を引き起こす可能性がないか、あるとしても右の法益と比較して権限行使によって保護すべき法益がはるかに重要であり、かつ、当該法益につき被害防止の目的を実現できることが明らかであること

⑥ 権限行使の対象が高度の専門性、技術性、更には政治性をもつ事項にかかわるものでないこと

⑦ 権限行使のあり方が多種多様にわたるときは、当該公務員が権限を行使すべき時点において具体的に運用基準が確立しているか、そうでないにしても同種の先例が多数あることによりとるべき措置の具体的内容が自ら一義的に定まるものであり、仮に運用基準あるいは同種先例によっては権限行使のあり方が一義的に定まらないとしても、侵害行為の種類・性質・被害者側及び加害者側の個別具体的事情、更には既にとられた行政措置等の諸般の事情からみてとるべき措置の具体的内容が自ら一義的に定まるものであること

(二) これを本件についてみるに、控訴人らがすべて骨関節結核に罹患していたとはいえないこと、奥医院が感染場所であったとは断定できないこと、昭和四五年二月初めには骨関節結核の集団発生を疑うべき状況にはなかったことなどについては、原審で詳論したところであり、同年三月一一日頃の時点においても永田因島保健所長が骨関節結核患者数の異常性を認知できなかったことは、原判決の認定するとおりである。永田因島保健所長が昭和四五年四、五月頃骨関節結核患者の新規登録者数が多くなっているのに気づいたことは、被控訴人らも争わないところであるが、右時点において結核予防法上あるいは医療法上知事・保健所長に求められる原因調査究明の要請は、1に掲げた要件からすれば、特定の個人に対する関係で不作為の不法行為を構成する作為義務といえるものでないことは明らかである。すなわち、

(1) 結核の感染の特性に照らすと、骨関節結核は肺結核から血行性の二次感染により発病するのが通常のパターンであり、特に当時の医学的知見の下では、骨関節結核患者が多発しているというだけでは、肺結核が多発している可能性があるとまではいえても、直ちに特定の個人に対する関係で骨関節結核感染の具体的な危険が現に存するとか又はその危険が切迫しているとはいえない。

(2) この場合の調査は、高度の専門性、技術性を有する事項にかかわるものであり、また当時として調査のあり方に関し確立された基準や方針があったわけではないから、仮に保健所長の調査のあり方に後日批判を加えられてもやむを得ないものがあったとしても、保健所長に付与された権限につき有する裁量の範囲内であるから、違法の評価を受けるものではない。

(3) 仮に控訴人ら骨関節結核患者について奥医院を感染源とする接種感染の疑いが濃厚であり、このことを知事・保健所長において認識しているか又は当然に認識すべきものであるとされる場合であっても、知事・保健所長の権限行使のあり方は、前提となる事実関係が必ずしも明確であるとはいえないため、その内容に応じ種々様々のものがありうるし、前記のとおり調査は高度の専門性、技術性を有する事項にかかわるものであるから、この点の知識・経験を有する保健所長や知事の裁量に委ねられるべきものである。したがって、調査をすべきことが知事・保健所長の職務上の義務であることが肯定されても、特定の個人との関係において権限を行使しないことが不作為の違法の評価を受けるものではない。

3 控訴人らの主張3(予見可能性―予見義務としての調査究明義務―について)は争う。

本件骨関節結核の集団発生が、奥医院を感染場所とする院内感染であることは、以下の事情からして認め難い。すなわち、①本件患者らのうち、結核菌検査の結果、陰性の者が二五名、判定不能の者が一四名いること、②骨関節結核の診断は一部誤診の可能性があること、③類似疾病との鑑別が困難で確定診断とはいえないこと、④本件患者らのなかには、レセプト、保健婦の訪問カード、保健所の作成した個人調査票、結核登録票のいずれにも奥医院に通院した旨の記載のない者がいること、⑤接種結核であるとすれば、奥医師の死亡後も一年六か月の長期間にわたり骨関節結核患者が続発するはずがないこと、⑥竹原看護婦見習の疾患は、急性肺炎であり、結核ではなかったこと、⑦ステロイド注射によって骨関節結核が発生することは臨床的に考え難いこと、⑧ステロイド注射部位と発病部位の相違する者がいること、⑨関節注射の時期と発病との間隔に不自然な者がいること、⑩通常の経気道感染で発病したと思われる者がいることの諸事情からして、奥医院を感染場所とする院内感染とは、認められない。

控訴人ら主張のような腸チフス・コレラの集団発生があり、管轄保健所が控訴人ら主張のような初期活動を行ったこと、控訴人ら主張の通達のあることは認める。しかし、控訴人ら主張の事例は、感染力が強く、潜伏期間の短い急性法定伝染病である。関節結核のように一次的に感染してまん延する可能性が病理学上考えられず、潜伏期間も長く、慢性的な経過を示す疾病と同一に論ずることはできない。各地の保健所で伝染病や食中毒の集団発生において行われた初期活動の態様には種々のものがある。成功例も失敗例も色々あり、右事例をもって本件の初期活動を評価することはできない。

本件のように、世界に類例のない骨関節結核の集団発生という希有の事案において、控訴人ら主張のような疫学調査を含む初期活動を期待することは不可能又は至難の技である。

永田因島保健所長は、昭和四五年四、五月ころ、骨関節結核患者の届出が累計七、八名になって少し多いと感じたが、骨関節結核は、病理的には、肺に入った結核菌が血液の流れによって移動し、骨関節に付着して発病する二次結核であるから、骨関節結核が一次的に感染してまん延するとは考えられず、急激なまん延は考えられないこと、根本的には、肺結核に対する予防や治療が骨関節結核の予防になるから、まず肺結核を発見予防することが先決であること、骨関節結核は、慢性の伝染病で潜伏期間も長く、潜在患者も多く、感染源や感染経路を疫学的に究明することは困難であること等の諸事情を考慮し、通常の発病パターンを想定し、それに応ずる初期活動を行ったのである。

当時の医学的知見の下において、奥医院での接種感染による骨関節結核の集団を予見することはできないし、その原因調査は、高度な専門性・技術性を有し、当時調査のあり方について基準や方針が確立されていた訳ではないから、因島保健所長の行った初期活動は、保健所長に付与された権限の行使につき有する裁量の範囲内であり、違法ということはできない。

世界でそれまで骨関節結核の集団発生の事例や文献はなく、接種結核による骨関節結核の発病の報告事例も皆無であったことからして、因島保健所長や広島県知事が、接種結核の可能性を念頭におき、異常な発病パターンを想定した措置を講じなかったとしても、因島保健所長や広島県知事に求められる行政上の責任を尽くさなかったとは言えない。

控訴人ら指摘の文献は、腸チフスや食中毒など本件の骨関節結核の処理とはまったく関係するとは思えないものや、疫学一般について述べたものであり、骨関節結核のように慢性で潜伏期間の長い非伝染性の疾患について述べたものではない。

知事・保健所長が作成する結核に関する資料は、国や地方公共団体における結核予防や治療に関する政策の基礎資料とするためのものであり、結核の感染源や感染経路等の調査究明の一環として作成しているものでない。

4 控訴人らの主張4(回避可能性―結果回避の作為義務―について)は争う。

永田因島保健所長が、骨関節結核は肺結核と異なり非感染性であること、法定伝染病のように緊急措置を要するものでないこと、骨関節結核は二次結核であり、一般に肺結核が先行して肺から血液を介して結核菌が転移し骨関節結核を発病させるのが通常のパターンであること、それまで骨関節結核の多発の事例がなかったこと等から、肺結核が多発しているものと考え、昭和四五年秋の健康診断を待って、肺結核患者の発見・治療により骨関節結核の予防・まん延防止が可能と判断したことは、通常の保健所長としては極めて常識的・合理的判断である。

控訴人ら指摘の佐原地区骨関節結核事件及び和歌山中耳炎結核事件は、いずれも本件以後に発生した事例であり、しかも結核患者を診断した医療機関から、保健所に対し、特定の医療機関が感染源である旨の正確な情報がもたらされて、保健所の調査究明活動が開始された事例である。本件においては、どの医療機関からも、骨関節結核の集団発生に関する情報が因島保健所長にもたらされなかったし、まして奥医院に関する情報はまったくなかった。右のような状況下で、骨関節結核の集団発生の事例が皆無であり、とるべき対応策の前例もない本件において、永田因島保健所長が、医学上の常識である骨関節結核の通常の発生パターンどおりの肺結核患者が多発している蓋然性を念頭においたことは、当然である。

本件においては、以下のとおり、骨関節結核の集団発生の異常性認知を妨げる事情がある。すなわち、①異常性を認知する前提となる母数が小さい。因島保健所の管内人口は約四万人であり、もともと肺結核・肺外結核・骨関節結核の発病数が少なく、一定しないため、統計数値上の有用性が低かった。②当時の因島市において、骨関節結核の罹患率は上昇傾向にあった。因島市の骨関節結核の罹患率は、昭和四三年が9.8、昭和四四年が4.9と、全国平均の六ないし一二倍という高い数値を示していた。これは、因島市がもともと肺結核を含む結核患者が多い地域であり、骨関節結核も発生しやすい土地柄であったことを物語る。因島市において、骨関節結核患者が出たからといって、直ちに異常な事態とは言えない。③骨関節結核の統計上の数値は、肺結核のそれに比べて、信用度が著しく低い。従来の結核実態調査は、国民病であった肺結核をいかに減らすかの観点から調査・統計されている。肺外結核は、その判定も統計分析も、その占めている説明の量からしても、肺結核に隠れた存在である。肺外結核のような小さい数値によって異常性の認知を求めるには、誤差の存在が軽視できない。④肺外結核の罹患率には地域差がある。地域の特性を正確に評価・分析しないまま、全国平均の数値と比較しても、地域の肺外結核の実態を正しく判断することはできない。⑤肺結核・肺外結核・骨関節結核間の発病比率が一〇〇対一〇対一であるとの数値は、昭和四〇年ころから偶然一定数値となったものであり、その前後は右比率を保っていない。右比率は、科学的裏付けのない、統計数値上の偶然値とみられる。⑥一般に年齢が高くなると、結核の感染・罹患率も高くなる。本件患者らの平均年齢を考慮すれば、平均値より高い罹患率を示したとしても奇異ではない。

知事・保健所長が統計上の数値を利用できるのは、後日の集計作業後である。また、結核登録者に関する定期報告において、骨関節結核の部位別の統計は行われていない。本件患者らの発病部位の異常性を容易に認識することはできなかった。結核登録票、公費負担申請書及び保健婦指導訪問カードは、戦後の結核行政において患者管理の中核を占めるようになったが、当時はまだこれらを取りまとめて有効に利用できるだけの仕組みはなかった。保健所長が直接これを閲覧する体制ではなかった。結核診査協議会も、公費負担を認めるか否かを決するだけで、それ以上の実体的審査を法律上要求されていないし、実態も原因審査をするものではなかった。

感染源の調査は容易でない。本件患者らは、潜伏期間も長く、通院期間も異なり、多数転院している。保健婦の家庭訪問においても、六八名の患者にのべ約二五〇回の訪問が実施され、奥医院のことが訪問の際に判明したのは約一四回で、全体の一割に過ぎない。奥医院に注意を向けさせる兆候はなかった。公費負担申請書をみても、結核の届出病院はばらばらで、その間に関連・脈絡はなく、患者の住所も因島全島に広がっており、患者の間に関連・脈絡は見出せない。

そして、権限を行使するに通常必要とする期間内の不作為は、違法にならない。因島保健所長が骨関節結核患者の届出が多いと感じてから、情報収集や調査を行い、対応策を講ずるまでには、新宿赤十字産院事件と比較しても、少なくとも一年以上の期間を要する。

また、保健所が特定の医療機関の医療活動に介入して行政指導することは、医療の特殊性からみて慎重にされなければならない。当該医療機関が結核の集団発生の感染源と推定される相当程度の状況証拠があり、高度の蓋然性が肯定されることが必要である。一片の風聞や根拠薄弱な情報等によって介入して行政指導することは、当該医療機関の受ける影響を考えれば、権限の濫用として許されないことを戒心しなければならない。

仮に、控訴人らの主張に従っても、すでに結核登録をして医師の管理下にある控訴人患者らについては、保健所長がかかわる必要はない。

昭和四五年六月中旬を奥医院の治療を中止すべき時期と仮定すれば、患者番号2、8、13、16、21、24、30、32、38、42、46、52、53、64、67の一五名の患者は、すでに奥医院への通院を止め、結核登録をして治療を受けているから、被控訴人らの作為義務は問題にならない。患者番号3、5、6、7、9、10、11、12、15、18、19、20、25、26、31、33、34、36、37、39、41、43、50、51、58、62、66、68、70、71、72、73、78、79、80、81、83の三七名の患者は、奥医院への通院を止めているから、奥医院の治療中止義務を論ずる余地はない。右患者のうち、5、7、10、11、12、18、20、31、33、34、36、37、39、41、43、58、62、66、70、71、73、80、81の二三名の患者は、すでに他の病院に入院ないし通院中であり、医師の管理下にある。他の患者も、早晩医師の治療を受けている。患者番号1、4、14、17、23、27、28、29、35、40、44、45、47、48、49、54、55、56、57、59、60、61、63、65、69、75の二六名の患者は、すでに長く奥医院で治療を受けており、六月以前の通院の方が長い。そうすると、規制権限の行使との関係で問題になり得る患者は、患者番号22、74、76、77、82の五名の患者のみである。

昭和四五年八月下旬を奥医院の治療を中止すべき義務が発生した時期と仮定すれば、規制権限行使との関係で問題になる患者は、患者番号77の患者一人のみである。

更に、感染源を把握した後に奥医院に通院していたものを見つけて事後の措置をとるにしても、奥医師の協力が必要であるが、同医師の協力が得られたか否かは不明である。また、奥医院に通院していた者が把握できたとしても、結核に感染しているか否かの確認の方法はないし、発病予防のためのイソニコチン酸ヒドラジドの投薬はできなかった。また、事後の措置をとるにしても、相当の期間が必要であることは、前述したとおりである。

5 控訴人らの主張5(因島保健所長と広島県知事との関係)は争う。

結核登録者に関する定期報告は、昭和四五年当時、肺外結核として報告されていたにすぎない。骨関節結核としての報告が知事になされるようになったのは、本件集団発生後のことである。

また、結核の公費負担申請は、結核予防法三四条一項の知事の権限が保健所長に委任されているため、右申請書が知事宛てに送付されることはない。

6 控訴人らの主張6(損害について)は争う。

控訴人らの損害の範囲を認定するには、以下の事情を斟酌すべきである。すなわち、本件患者らは、何らかの既往症を有していたから、既往症が損害の発生・拡大に寄与している可能性があること、とくに関節リウマチの予後は高度の関節変化を起こしやすいこと、肺結核の増悪による二次感染や、その影響による全身症状の悪化が考えられること、ステロイド投与を多数回・多量に受けている者がいること、化膿性関節炎の発病ないし混合感染を起こした疑いが高い者がいること、本件患者らの多くが老齢であること、患者自身が治療を受けるのを遅らせた者がいること、各人ごとに手術の有無・種類・内容及び後遺症の程度が違うこと等の諸事情を考慮すべきである。

また、死亡した患者と骨関節結核の罹患との間には、因果関係がない。

理由

第一書証の成立等

一原審で提出された書証の成立については、原判決D一頁三行目から同四頁一一行目まで(ただし、同一頁一五行目の「二二」を「六六」に改める)記載のとおりである。

二当審で提出された書証(甲第二四四号証ないし第三九一号証及び乙第七四号証ないし第一三六号証、以上いずれも枝番を含む)のうち、甲第二七六、第二七七号証、第三四六号証の一ないし五、第三四九ないし第三五二号証、第三五七号証、第三五八号証の一ないし二九を除くその余の各証の成立(写を原本とするものについては原本の存在及び成立を含む)はいずれも争いがなく、右を除いた各証の成立(写を原本とするものについては原本の存在及び成立を含む)はいずれも弁論の全趣旨によって認められる。

第二事実関係

骨関節結核と集団結核(結核の分類、頻度、予後、骨関節結核の症状、発病病理等、集団結核の意義事例等、結核予防行政の歴史)、本件患者らの骨関節結核の罹患(医療機関による結核診断等、骨関節結核の診断法と問題点、本件患者らの骨関節結核の罹患)、骨関節結核の多発状況(本件患者らの結核の新規登録状況、骨関節結核の新規登録患者数の増加、結核類別間の構成比率、結核罹患率、脊椎カリエスとそれ以外の骨関節結核との発生頻度割合)、本件集団発生の原因(通常の発病病理からみた疑問、本件患者らの共通点、奥医院における問題点、接種感染の可能性)、本件集団発生下及びその前後の経緯(結核の新規登録患者数の月別の推移、因島保健所長の対応及びその周辺、広島県衛生部の関与及びその周辺)に関する事実認定は、次のとおり改めるほか、原判決D四頁一三行目から同E一三〇頁五行目までのとおりである。

一1  原判決D六頁六行目「一ないし四、」の次に「第二七八号証の一ないし六、」を加える。

2  原判決D七頁四行目の「除く。)、」の次に「第二六四号証の一、二、四、」を加え、同頁七行目の「関節炎」と、」の次に「「同年一二月左膝の手術」から「軟骨を取る手術をした」までを「昭和四五年八月五日両膝関節の肉芽・滑腫切除手術が行われ、同年一二月二日再手術が行われた」と、」を加える。

3  原判決D七頁一四行目の「除く。)、」の次に「第二七九号証の一ないし八、」を加える。

4  原判決D八頁九行目の「第一九五号証、」の次に「第二八〇号証の一、三ないし二一、」を加える。

5  原判決D九頁八行目の「一九四号証、」の次に「第二八一号証の一ないし一六、」を加える。

6  原判決D九頁一三、一四行目の「第二三一号証、」の次に「第二八二号証の一ないし一四、」を加える。

7  原判決D一〇頁五行目の「除く。)、」の次に「第二八三号証の一ないし六、」を加える。

8  原判決D一〇頁一三行目の「一、二、」の次に「第二七一号証の一ないし三、」を加える。

9  原判決D一一頁五行目の「除く。)、」の次に「第二八四号証の一ないし一九、」を加える。

10  原判決D一一頁一四行目の末尾に「第二八五号証の一ないし一七、」を加える。

11  原判決D一二頁七行目の「除く。)、」の次に「第二八六号証の一ないし四、」を加える。

12  原判決D一三頁二行目の「第二二八号証、」の次に「第二八七号証の一ないし六、」を加える。

13  原判決D一四頁一行目の「第二二七号証、」の次に「第二六五号証の一、二、四ないし一〇、」を加える。

14  原判決D一五頁一行目の「一一四号証、」の次に「第二八八号証、」を加える。

15  原判決D一五頁九行目の「一ないし八、」の次に「第二八九号証の一ないし六、」を加える。

16  原判決D一六頁一、二行目の「第二二九号証、」の次に「第二六九号証の一ないし三、」を加える。

17  原判決D一六頁一一行目の「一、二、」の次に「第二九〇号証の一ないし六、」を加える。

18  原判決D一七頁四行目の「除く。)、」の次に「第二九一号証の一ないし三、」を加える。

19  原判決D一八頁六行目の末尾に「第二九二号証の一、二、」を加える。

20  原判決D一九頁八、九行目の「第一二〇号証、」の次に「第二七四号証の一ないし三、」を加える。

21  原判決D二〇頁一行目の「第一二一号証、」の次に「第二六二号証の一ないし一二、」を加える。

22  原判決D二〇頁一一行目の「第二二五号証、」の次に「第二九三号証の一ないし四、」を加える。

23  原判決D二二頁一、二行目の「第一二三号証の一、二、」の次に「第二九四号証の一ないし六、」を加える。

24  原判決D二二頁一五行目の「除く。)、」の次に「第二六八号証の一ないし一〇、」を加える。

25  原判はD二四頁一行目の「第一八九号証、」の次に「第二九五号証の一ないし一一、」を加える。

26  原判決D二四頁一一行目の「除く。)、」の次に「第二九六号証の一、三ないし八、」を加える。

27  原判決D二五頁一〇行目の「一ないし七、」の次に「第二九七号証の一ないし一六、」を加える。

28  原判決D二六頁三行目の「除く。)、」の次に「第二九八号証の一、三ないし八、」を加える。

29  原判決D二六頁一二行目の「第一八六号証、」の次に「第二九九号証の一ないし一一、」を加える。

30  原判決D二七頁四行目の「第一三〇号証、」の次に「第二六〇号証、」を加える。

31  原判決D二七頁九行目の「第一三一号証、」の次に「第三〇〇号証の一ないし一〇、」を加える。

32  原判決D二八頁一行目の「除く。)、」の次に「第二七二号証の一、二、」を加える。

33  原判決D二八頁一四行目の「一ないし九、」の次に「第三〇一号証の一ないし二四、」を加える。

34  原判決D二九頁六行目の末尾に「第三〇二号証の一ないし一〇、」を加える。

35  原判決D三〇頁五行目の「第一八五号証、」の次に「第三〇三号証の一ないし七、」を加える。

36  原判決D三〇頁一六行目の「一ないし七、」の次に「第三〇四号証、」を加える。

37  原判決D三一頁一〇、一一行目の「二三〇号証、」の次に「第三〇五号証の一ないし六、」を加える。

38  原判決D三三頁二行目の「除く。)、」の次に「第二六七号証の一ないし四、」を加える。

39  原判決D三四頁五行目の末尾に「第三〇六号証の一ないし五、」を加える。

40  原判決D三五頁一一行目の「第一四〇号証、」の次に「第三〇七号証の一、二、」を加える。

41  原判決D三六頁一六行目の「第一九〇号証、」の次に「第三〇八号証の一ないし四、」を加える。

42  原判決D三七頁七行目の「一、二、」の次に「第三〇九号証の一ないし五、」を加える。

43  原判決D三八頁一三行目の「第一四三号証、」の次に「第二七三号証の一ないし二〇、」を加える。

44  原判決D三九頁一四行目の「第一四四号証、」の次に「第三一〇号証の一ないし一〇、」を加える。

45  原判決D四〇頁三行目の「第一四五号証、」の次に「第三一一号証の一ないし六、」を加える。

46  原判決D四〇頁九行目の「除く。)、」の次に「第二六三号証、」を加え、同四一頁三行目に「「同年三月一七日」とあるのを「同年三月一五日」と、」と改める。

47  原判決D四一頁七行目の「第一四七号証、」の次に「第三一二号証の一ないし一〇、」を加え、同四三頁二行目の「受けたこと、」の次に「同病院においては、結核菌検査こそ陰性であったけれども、右股関節に骨硬化、骨破壊、骨萎縮等が認められ、右大腿前面に膿瘍が形成され穿刺で膿が排出されたなどのことから、右股関節結核と診断され、抗結核薬が投与されていたこと、」を加える。

48  原判決D四三頁八行目の「除く。)、」の次に「第三一三号証の一ないし六、」を加える。

49  原判決D四四頁四行目の「第一九七号証、」の次に「第三一四号証、」を加える。

50  原判決D四四頁一〇行目の「一ないし四、」の次に「第三一五号証の一ないし九、」を加え、「第四九号証」を「乙第四九号証」と改める。

51  原判決D四四頁一六行目の「第二二三号証、」の次に「第三一六号証の一ないし九、」を加える。

52  原判決D四五頁一四行目の「第一五二号証、」の次に「第二六一号証の一ないし一二、」を加える。

53  原判決D四六頁一一、一二行目の「第二二二号証、」の次に「第二七〇号証の一ないし四、」を加える。

54  原判決D四八頁一行目の「第二二四号証、」の次に「第三一七号証の一ないし二六、」を加える。

55  原判決D四九頁七行目の「一ないし六、」の次に「第三一八号証の一ないし三、」を加える。

56  原判決D五〇頁四行目の「除く。)、」の次に「第三一九号証の一ないし六、」を加える。

57  原判決D五一頁一行目の「除く。)、」の次に「第三二〇号証の一ないし三、」を加える。

58  原判決D五一頁一三行目の「第一五八号証、」の次に「第三二一号証、」を加え、同五二頁一、三行目の「(」から「)」までを削る。

59  原判決D五二頁一〇行目の「第一九六号証、」の次に「第三二二号証の一ないし三、」を加える。

60  原判決D五三頁三、四行目の「第二二六号証、」の次に「第三二三号証の一ないし三、」を加える。

61  原判決D五三頁九、一〇行目の「第一六一号証の一、二、」の次に「第三二四号証の一ないし六、」を加える。

62  原判決D五三頁一五行目の末尾に「第三二五号証の一ないし四、」を加える。

63  原判決D五四頁一五行目の「一、二、」の次に「第三二六号証の一ないし三、」を加える。

64  原判決D五五頁一〇行目の「第一六四号証、」の次に「第二五九号証の一ないし一八、」を加える。

65  原判決D五五頁一五行目の「第一六五号証、」の次に「第三二七号証の一ないし四、」を加える。

66  原判決D五六頁六行目の「第二三二号証、」の次に「第三二八号証の一ないし四、」を加える。

67  原判決D五七頁二行目の「第一六七号証、」の次に「第二六六号証の一ないし一七、」を加える。

68  原判決D五七頁一四行目の「第一九三号証、」の次に「第三二九号証の一ないし六、」を加える。

69  原判決D五八頁一〇行目の「第一六九号証、」の次に「第三三〇号証の一ないし一三、」を加える。

70  原判決D五九頁二行目の「第一七〇号証、」の次に「第三三一号証の一ないし八、」を加える。

71  原判決D五九頁一二行目の「第一九二号証、」の次に「第三三二号証の一ないし五、」を加える。

72  原判決D五九頁一六行目の「第一七二号証、」の次に「第三三三号証、」を加える。

73  原判決D六〇頁八行目の「除く。)、」の次に「第三三四号証の一ないし六、」を加える。

74  原判決D六一頁四行目の「第一七四号証」の次に「、第三三五号証の一、二、」を加える。

75  原判決D六一頁一二行目の「一ないし一二、」の次に「第三三六号証の一ないし一〇、」を加える。

76  原判決D六一頁三行目の「第一七六号証」の次に「、第三三七号証」を加える。

77  原判決D六二頁一〇行目の「第一七七号証、」の次に「第三三八号証の一ないし四、」を加える。

78  原判決D六三頁三、四行目の「一ないし一三、」の次に「第三三九号証の一ないし四、」を加える。

79  原判決D六三頁一一行目の「第一九一号証、」の次に「第三四〇号証の一ないし九、」を加える。

80  原判決D六四頁九行目の末尾に「、第三四一号証の一ないし五」を加える。

81  原判決D六四頁一五、一六行目の「第一八二号証」の次に「、第三四二号証」を加える。

82  原判決D六五頁四行目の「一ないし九、」の次に「第三四三号証の一ないし一四、」を加える。

二原判決D六五頁一三行目の冒頭に「甲第二五九号証ないし第二七四号証、第二七八号証ないし第三四四号証(以上いずれも枝番を含む)、」を加え、同一四、一五行目の「別紙一覧表一「結核登録及び公費負担状況」のとおり」の次に「(「結核医療費」とあるは「骨関節結核の医療費」の意味である)」を加える。

三原判決D八六頁三行目の「塩素性」を「塩基性」に改める。

四原判決D九一頁一二行目の「一般論から言えば、」の次に「逆に発病例の少ない疾患については症状の類似する発病例の多い疾患と誤診される可能性の方が大であり、症状類似にもかかわらず」を加える。

五原判決D一二四頁五行目の「右肘関節結核」を「右膝関節結核」に改める。

六原判決D一三四頁九行目から同一六行目までを次のとおり改める。

「右認定のとおり、岡野トシエの右股関節結核の診断には疑問も留保されている。しかし、甲第三一二号証の一ないし一〇、第三四四号証の四七によれば、岡野トシエは、昭和五〇年八月一八日、右股関節結核との診断を受けて結核医療費の公費負担申請をしており、結核菌検査では塗抹及び培養検査とも陰性であったが、骨破壊・膿瘍形成・膿排出の所見があり、抗結核薬の投与がされていた、右公費負担申請は昭和五四年九月まで続けられ、骨萎縮像・骨硬化像の所見もみられる、との事実が認められるから、岡野トシエは、右股関節結核に罹患した、と認めるのが相当である。」

七原判決D一四三頁一三行目の「甲第八号証の二、」の次に「乙第五〇号証、」を加える。

八原判決E一頁三行目の「原告岡野トシエを除く」を削り、同二頁六行目の「原告」から同一一、一二行目の「取り扱うことにする。さらに、」までを削る。

九原判決E二四頁八、九行目の「原告岡野トシエを除く」及び九行目の「(」から一〇行目の「)」までを削り、同一二行目の「罹患し」の次に「(ただし、岡野ヤエコの左膝関節結核を除くことは後記のとおりである)」を加える。

一〇原判決E三八頁二行目の「(ただし、(47)を除く。)」を削り、同六、七行目の「とおりとなる」の次に「(岡野トシエも奥医院に通院したほか、岡山大学付属病院、尾道総合病院、三原赤十字病院に通院している)」を加える。

一一原判決E四二頁七行目の「結核登録票及び」を「また、結核登録票に奥医院への通院の事実が記載がないことをもって、直ちに同医院への通院の事実を否定することにはならない(なお、被控訴人らが訪問指導カードに奥医院通院の事実の記載がないと指摘する患者らのうち、宮崎和子(甲第三四四号証の二五)、岡野ハナ子(同号証の四〇)及び村上ヤスコ(同号証の七六)には、結核登録票に奥医院通院の記載がある)。」に改める。

一二原判決E四五頁一一行目の「(ただし、((47)を除く。)」を削る。

一三原判決E四六頁三、四行目の「(ただし、(47)を除く。)」を削り、同七行目の「各欄のとおりとなる」の次に「(ただし、「結核医療開始年月日」とあるは「骨関節結核医療費支給開始年月日」の意味である)」を加え、同一〇行目の「右病状悪化時期」を「右病状悪化時期以後」に改める。

なお、本件患者らは、次に記載する者(肺結核等の治療を受けている者も含む)を除いて、右医療費支給開始年月日から骨関節結核の治療を受けている。

酒井和行(患者番号5) 昭和四五年一一月から結核性髄膜炎の治療を受けた。

川本勝(患者番号13) 昭和四五年二月ころから骨関節結核の治療を受けた。

松原勇(患者番号16) 昭和四五年三月から結核性腹膜炎の治療を受けた。

上野スエ子(患者番号17) 昭和四五年一二月から両膝関節結核の治療を受けた。

田頭カナヨ(患者番号21) 昭和四五年二月ころから右足関節結核の治療を受けた。

田中智子(患者番号22) 昭和四六年二月から左膝関節結核の治療を受けた。

松本トキノ(患者番号24) 昭和四五年四月ころ骨関節結核の治療を受けた。

村上シカエ(患者番号29) 昭和四五年八月から肺結核の治療を受けた。

岡野ヤエコ(患者番号42) 右足関節結核の治療は、昭和四七年一月から始まっている。

村上金四郎(患者番号43) 昭和四五年六月から肺結核の治療を受けた。

村上常春(患者番号44) 昭和四五年九月から骨関節結核の治療を受けた。

三保谷ツルエ(患者番号53) 昭和四五年五月から粟粒結核・結核性髄膜炎の治療を受けた。

村上政一(患者番号54) 昭和四六年四月から左肺結核の治療を受けた。

上田サトコ(患者番号64) 昭和四五年一月から肺結核の治療を受けた(甲第二五九号証の一、第三四四号証の六四)。

畑岡真之助(患者番号65) 昭和四六年三月二八日ころから肺浸潤の治療を受けた(甲第三二七号証の一、第三四四号証の六五)。

小倉國太郎(患者番号72) 昭和四六年八月ころから肩関節結核の治療を受けた。

小倉コサダ(患者番号73) 昭和四六年八月ころから肺結核の治療を受けた。

野坂トシコ(患者番号76) 昭和四六年五月ころから結核の治療を受けた。

松葉タカエ(患者番号80) 昭和四六年四月から右膝関節結核の治療を受けた。

なお、岡野トシエ(患者番号47)も、昭和四六年四月から右股関節結核の治療を受けた。

一四原判決E四六頁一六行目の「(ただし、(47)を除く。)」を削り、同四七頁五行目の「各欄のとおりとなる」の次に「(岡野トシエも、右内股に注射を受け、右股関節に発病している)」を加える。

一五原判決E五九頁一二行目の「第一二七」を「第一二七号証の各一」に、同一二、一三行目の「第一四九」を「第一四九号証」に、同一三行目の「第一五〇」を「第一五〇号証の一」に、同行目の「第一五六」を「第一五六号証」に、同行目の「第一五九」を「第一五九号証」に、同行目の「第一七九」を「第一七九号証の一」にそれぞれ改める。

一六原判決E八一頁二行目の「一一名」を「一二名」に改め、同「(原告岡野トシエを除く。)」」を削り、同九行目、一一行目及び一五行目の「二五名」をいずれも「二六名」に改め、同一三行目の「八二名」を「八三名」に改め、同E八二頁一行目の「二五人」を「二六人」に改め、同七行目の「二五人を」から「一三人と」までを「昭和四五年と同四六年に二分して」に改め、同八行目の「一二ないし」を「約」と改め、同八四頁一行目及び同五行目の「二五名」を「二六名」に改める。

一七原判決E八七頁三行目の末尾に「ただし、岡野ヤエコ(患者番号42)の昭和四四年一月二〇日に結核登録した左膝関節結核は、前記認定事実(原判決D三七、三八頁、一二八、一二九頁)からすれば、これも奥医院で受けた関節注射が原因となって発病したものと推認できるが、他の本件患者とは奥医院への通院時期及び骨関節結核の発病時期に相違があるから他の本件患者らと同様の骨関節結核の集団発生(本件集団発生)の一部であると認めることはできない。もっとも、同人の右足関節結核は、本件集団発生の一部である。」を加える。

一八原判決E九八頁七、八行目の「別紙一覧表六「保健婦家庭訪問指導実施状況その二」」及び「同七「同その三」」を別紙「保健婦の訪問指導と奥医院通院の事実の聞き取り」に差し替える。

一九原判決E九九頁四行目の次に行を改め、次のとおり加える。

「右公費負担の承認・不承認を決定するため、因島保健所結核診査協議会が昭和四五年一月から昭和四六年一二月までの間毎月二回ずつ開催されている。右協議会の委員は、宮井紋治郎因島病院副院長、井手武夫尾道市医師会長(昭和四六年九月から諫見勝則に交替した)、西次雄医師、大林義彦村上病院医師及び永田三六因島保健所長の五名である(当審調査嘱託の回答)が、右協議会において、骨関節結核が異常に多発しているとか、その原因究明が必要であるとかの議論がなされた様子はない。」

二〇原判決E一二三頁一二行目の「五三人」を「五四人」に改める。

以上に認定したところを要約すると、本件患者らは、いずれも奥医院においてステロイドの関節注射を受けた者であるが、注射器等の消毒が不完全等の過誤のため、結核菌が付着又は混入したステロイド関節注射を受け(感染源が看護婦竹原正枝であるか、他の結核患者であるかを確定することはできないが)、感染症誘発の副作用をもつステロイド剤の影響もあって、控訴人ら主張の骨関節結核に集団で罹患した(ただし、岡野ヤエコが昭和四四年一月二〇日に登録した左膝関節結核は右集団発生とは異なる)、と認められる。

被控訴人らは、本件患者ら全員が骨関節結核に罹患したこと、その原因が奥医院のステロイド関節注射にあること等を争うが、被控訴人らの右主張が理由のないことは、原判決説示のとおりであり、当審における主張・立証によっても、右認定・説示を左右するに足りない。

第三被控訴人らの責任

一はじめに

1  本件は、広島県知事・因島保健所長が、骨関節結核の集団発生を認知し、その予防及びまん延を防止するため結核予防法及び医療法上の適切な措置をとるべき作為義務があったにもかかわらず、何らの有効・適切な措置も講じなかった、との広島県知事・因島保健所長の不作為の違法を理由に、骨関節結核の患者ないしその相続人である控訴人らが、被控訴人国及び同広島県に対し、国家賠償法一条一項に基づき、損害賠償を請求する事案である。

そして、第二で認定した事実関係からすれば、本件患者らが骨関節結核に罹患したのは、奥医院における奥医師の医療過誤が直接的な原因になっているものと推認される事案である。

2 国家賠償法一条一項は、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を加えたときに、国又は公共団体がこれを賠償する責に任ずることを規定するものである。ここにいう公権力の行使には不作為も含まれる。したがって、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員以外の第三者が直接の加害者である場合に、国又は公共団体がその公権力の行使に当たる公務員の不作為を理由に被害者に対して国家賠償法一条一項に基づく責任を負うべきものとされるのは、当該公務員が被害者に対し職務上の法的な作為義務を負うにもかかわらずそれにけ怠した場合である。行政内部において職務上の法的な作為義務を負うに留まる場合や国民一般に対して抽象的に法的な作為義務を負うに留まる場合は含まれない。

3  そこで、本件においては、まず、結核予防法・医療法あるいはその他の法令が明文をもってあるいは解釈上、県知事・保健所長の個別の国民に対する法的な職務上の作為義務を定めているか否かが検討されなくてはならない。そして、それが肯定された場合には、本件の事実関係に即して、広島県知事・因島保健所長に本件患者らに対する右義務のけ怠があったか否かが検討されなくてはならない。以下、この順序で検討する。

二結核予防法等における作為義務の有無について

1  結核予防法の規定

(一) 結核予防法は、「結核の予防及び結核患者に対する適正な医療の普及を図ることによって、結核が個人的にも社会的にも害を及ぼすことを防止し、もって公共の福祉を増進することを目的」とし(一条)、「国及び地方公共団体は、結核の予防及び結核患者の適正な医療につとめなければならない。」(二条)と定める。そして、同法は、右目的を達成するために、都道府県知事に対し、定期外の健康診断とその記録の作成等(五条、一〇条)、定期外の予防接種とその記録の作成等(一四条、一九条)、定期の健康診断及び予防接種についての通報、報告の受理(一一条、二〇条)、所定の結核患者に対する従業の禁止(二八条)、所定の結核患者等に対する入所命令(二九条)、所定の場所についての家屋の消毒等の措置(三〇条)、所定の物件についての消毒廃棄等の措置(三一条)、所定の場所への立ち入り、質問及び調査(三二条)、指定医療機関の診療内容及び診療報酬の請求の審査並びに診療報酬の額の決定(三八条三項)、指定医療機関に対する報告の請求及び帳簿書類の検査(四二条)等の権限と職務を与え、保健所長に対し、定期の健康診断の実施者に対するその期日又は期間の指示(四条二項、三項)、健康診断実施者からの健康診断の結果についての通報又は報告の受理とその都道府県知事への通報又は報告(一一条)、市町村長に対する定期の予防接種等の期日又は期間の指示(一三条三項)、医師からの結核患者の届出の受理等(二二条)、病院管理者からの結核患者の入退院の届出の受理等(二三条)、結核登録票の備付等(二四条)、結核登録患者に対する精密検査の実施(二四条の二)、結核登録患者に対する保健婦等による家庭訪問の実施(二五条)等の権限と職務を与えている。なお、地方自治法は、右の都道府県知事の権限と職務は国の機関委任事務と定めるとともに(一四八条一項、二項、別表第三の一一五)、都道府県知事がその権限に属する事務の一部をその管理に属する行政庁に委任することを許しており(一五三条二項)、広島県においては、右の結核予防法の知事の権限を各保健所長に委任している(広島県地方機関の長に対する事務委任規則一一条四〇号)。

(二) しかし、結核予防法二条に定める国及び地方公共団体の義務は、その立言からも明らかなように、国及び地方公共団体の一般的抽象的な行政上の義務を包括的に定めたものにすぎず、前記同法四条以下に定める都道府県知事及び保健所長の義務も、その具体化であり、従業禁止、入所命令、家屋の消毒、物件の消毒廃棄、質問調査、家庭訪問指導等については、権限行使の要件が「結核を伝染させるおそれが著しいと認められるとき」とか、「同居者に結核を伝染させるおそれがある場合において、これを避けるため必要があると認めるとき」とか「結核の予防上必要があると認めるとき」とか、「結核の予防又は医療上必要があると認めるとき」とかいうように、都道府県知事又は保健所長の専門技術的立場からの合理的判断に委ねられており、他方、同法には個別の国民の側からの権利保護のための格別の規定は設けられていないことからすれば、個別の国民に対する職務上の義務を定めたものと解することはできない。

2  医療法の規定

(一) 医療法は、医療施設に関する基本法であって、病院・診療所・助産所の開設、施設・管理等の基準、行政庁の監督、公的医療機関の設置・国庫補助、医療法人、医業等の広告などについて定めるが、右の行政庁の監督の内容として、都道府県知事に対し、病院等の開設許可などのほかに、病院等の開設者もしくは管理者からの必要な報告の徴取、病院等への立ち入り、清潔保持の状況・構造設備・診療録その他の帳簿書類の検査の権限・職務(二五条)を与えている。なお、地方自治法により、右権限と職務は国の機関委任事務とされるとともに(一四八条一項、二項、別表第三の一三一)、都道府県知事はその権限に属する事務の一部をその管理に属する行政庁に委任することを許され(一五三条二項)、広島県においては、右の医療法の定める知事の権限を各保健所長に委任している(広島県地方機関の長に対する事務委任規則一一条一号)。

(二) しかし、医療法二五条の定める都道府県知事の義務も、その権限

保健婦の訪問指導と奥医院通院の事実の聞き取り

患者

番号

氏名

登録日

初回訪問日と内容

第2回訪問日と内容

第3回訪問日と内容

第4回訪問日と内容

第5回訪問日と内容

第6回訪問日と内容

第7回訪問日と内容

第8回訪問日と内容

訪問回数()は本人面接数

日付

面接相手

日付

面接相手

日付

面接相手

日付

面接相手

日付

面接相手

日付

面接相手

日付

面接相手

日付

面接相手

1

花岡峰義

46.4.8

46.4.19

入院中

46.12.2

不在

48.9.13

本人

3

(1)

2

村上シズエ

45.4.10

45.4.30

入院中

47.12.8

大阪へ転出

2

(0)

3

大出茂則

47.5.22

47.6.7

入院中

不在

48.6.11

入院中

不在

50.7.2

本人

3(1)

4

柏原忠男

45.10.27

45.12.7

不在

46.1.25

電話

次女

48.8.3

次女

50.4.22

不在

50.7.2

通院中

本人

5

(1)

5

酒井和行

45.11.18

45.12.7

不在

50.7.29

不在

50.8.19

3

(0)

6

須山保樹

46.2.17

46.4.27

不在

48.6.11

通院中

不在

50.4.22

本人

3

(1)

7

杉本町子

45.10.1

45.10.23

本人

46.2.12

料理実習母

49.2.4

本人

3

(2)

8

大黒イサミ

45.5.21

45.7.6

入院中

47.6.7

転出

48.6.11

転入

本人

3

(1)

9

大黒イマコ

45.8.21

45.9.4

本人

45.12.7

不在

46.1.25

通院

不在

47.10.2

奥医院のこと

本人

49.2.4

本人

50.4.22

不在

主人

6

(3)

10

大黒道子

46.7.13

46.11.12

奥医院のこと

本人

47.7.5

50.4.22

不在

50.7.2

本人

4

(2)

11

楢原忠勝

46.3.10

46.11.12

息子

48.8.2

2

(0)

12

麓マツエ

45.12.8

46.1.25

本人

46.2.12

本人

2

(2)

13

川本勝

45.4.16

45.4.28

本人

45.7.6

46.2.2

本人

46.10.28

不在

46.3.27

不在

47.512

不在

48.10.1

7

(2)

14

宮地マツコ

46.9.25

46.10.28

48.1.30

本人

48.10.1

本人

49.11.5

本人

4

(3)

15

宮地八重子

47.2.7

47.3.27

入院中

48.1.30

本人

48.10.1

本人

49.11.5

不在

4

(2)

16

松原勇

45.5.12

45.7.6

不在

46.10.28

本人

2

(1)

17

上野スエ子

47.4.11

47.5.12

本人

48.5.11

本人

49.6.4

本人

3

(3)

18

大立ミヤ子

45.8.13

45.11.24

本人

46.6.11

入院中

不在

46.10.7

本人

47.5.19

不在

47.6.6

本人

47.11.2

本人

49.1.18

本人

49.3.8

本人

8

(6)

19

小林スズエ

47.2.19

47.3.1

長男・嫁

47.10.27

不在

48.5.4

49.12.3

4

(0)

20

郷野サワエ

45.7.10

45.8.11

次男

49.1.18

勤務

不在

2

(0)

21

田頭カナヨ

45.2.23

46.2.10

45.2.26

入院中

家族

46.3.25

息子夫婦

48.2.2

本人

49.10.31

長男の嫁

4

(1)

22

田中智子

46.5.12

46.6.3

夫と母親

47.2.15

本人

48.2.9

本人

3

(2)

23

松葉茂

47.4.20

47.5.12

入院中

不在

47.5.19

不在

47.7.3

不在

47.12.7

本人

49.7.3

本人

5

(2)

24

松本トキノ

45.5.2

45.11.24

45.5.22

入院中

不在

45.12.15

夫と長男夫婦

47.2.10

入院中

長男の嫁

48.4.27

本人

48.5.4

本人

48.8.6

孫結核

49.7.16

本人

50.6.23

50.9.30

死亡

9

(3)

25

宮崎和子

46.1.21

50.10.14

46.2.9

本人

48.5.11

不在

48.6.5

本人

50.4.25

本人

4

(3)

26

宮地豊子

46.3.8

46.3.19

不在

46.3.25

安静中

本人

46.10.7

48.2.2

不在

50.1.30

本人

5

(2)

27

宮地ツマノ

45.10.12

45.10.23

不在

45.11.24

不在

45.12.24

不在

46.2.9

入院中

不在

46.7.15

入院中

夫と娘

48.3.8

本人

49.12.4

本人

7

(2)

28

宮地久子

45.8.26

45.11.24

入院中

不在

45.12.10

入院病院にて面接

48.2.2

本人

3

(1)

29

村上シカエ

45.8.10

46.2.10

45.11.24

入院中

不在

45.12.10

入院病院にて面接

48.1.30

本人

49.10.31

不在

3

(1)

30

村上ノブエ

45.2.3

0

(0)

31

山下一

46.4.13

46.6.3

不在

46.6.7

休暇中面接できず

46.7.2

不在

46.7.22

入院中

不在

47.5.12

入院中

50.1.29

6

(0)

32

荒井タカエ

45.6.1

45.6.15

不在

45.7.13

不在

45.8.11

不在

46.2.16

不在

46.3.19

本人

46.12.14

本人

48.3.22

本人

49.2.6

本人

8

(4)

33

岡野一子

48.10.23

48.11.20

不在

48.12.4

不在

49.12.4

不在

50.2.10

不在

4

(0)

34

岡野恵美子

46.3.27

46.4.19

不在

46.4.22

不在

48.12.10

本人

50.2.10

本人

4

(2)

35

岡野五郎

46.3.30

46.4.19

不在

46.4.22

不在

46.6.3

不在

46.12.14

不在

48.6.15

不在

49.8.30

本人

6

(1)

36

岡野サワエ

45.9.26

45.10.16

不在

46.12.2

本人

49.1.10

本人

3

(2)

37

岡野セツコ

46.4.8

46.4.19

入院中

夫の父

48.2.6

本人

49.2.6

不在

3

(1)

38

岡野孝子

45.4.20

45.10.22

本人

46.4.22

本人

48.2.6

不在

48.5.8

本人

48.10.11

本人

49.1.17

本人

49.9.10

本人

7

(6)

39

岡野チヨ子

45.8.10

45.9.3

入院中

養子の妻

46.3.23

不在

46.12.2

本人

48.2.6

本人

48.5.10

本人

48.6.5.

長男の嫁

48.9.6

本人

48.9.7

48.12.11

本人

49.2.6

本人

49.3.26

本人

49.4.11

娘夫婦

49.11.28

本人

13

(8)

40

岡野ハナ子

45.8.11

カードなし

41

岡野万亀子

45.11.26

45.12.14

入院中

不在

46.2.16

本人

48.2.6

不在

49.1.17

本人

49.8.30

本人

50.8.29

6

(3)

42

岡野ヤエコ

44.1.20

47.2.7

47.2.17

入院中

48.1.29

不在

49.9.10

不在

3

(0)

43

村上金四郎

45.6.8

45.6.15

入院中

長男の妻

47.1.20

入院中

長男の妻

48.9.13

不在

49.12.13

入院中

4

(0)

44

村上常春

45.10.12

45.10.16

入院中

47.2.7

入院中

2

(0)

45

阿部ノブエ

46.7.6

46.7.19

入院中

48.2.13

不在

49.7.8

本人

49.7.11

本人

49.9.26

本人

5

(3)

46

石原猛

45.3.11

45.12.15

不在

46.7.9

本人

47.1.20

不在

49.9.26

不在

4

(1)

47

岡野トシエ

46.4.21

46.5.31

奥医院のこと

本人

47.1.28

本人

49.9.12

本人

3

(3)

48

串野二三子

46.10.20

46.11.1

不在

48.2.9

本人

49.9.26

本人

3

(2)

49

小池律

46.1.23

46.2.22

不在

46.3.19

奥医院のこと

不在電話

47.1.25

不在電話

49.9.26

50.2.5

勤務先に電話

5

(0)

50

新川マサ子

45.8.24

45.12.15

入院中

不在

48.4.19

奥医院のこと

本人

50.3.13

本人

50.6.24

不在

50.6.26

本人

5

(3)

51

竹田高一

46.5.6

46.6.7

奥医院のこと

49.11.5

本人

50.2.28

本人

50.6.9

本人

4

(3)

52

竹田ウメノ

45.2.9

45.10.6

奥医院のこと

長女

49.11.5

本人

50.2.28

本人

50.6.9

本人

4

(3)

53

三保谷ツルエ

45.5.12

45.5.22

不在

47.10.31

奥医院のこと

本人

48.5.28

本人

49.2.12

本人

4

(3)

54

村上政一

46.4.24

46.5.31

不在

46.7.19

奥医院のこと

入院中妻

48.2.13

不在

48.4.24

50.4.25

不在

50.5.8

6

(0)

55

守本サトエ

45.10.27

45.12.15

不在

45.12.24

奥医院のこと

本人

48.5.18

本人

49.1.16

不在

4

(2)

56

坂井キク

46.7.6

46.9.6

奥医院のこと

近所主婦

47.2.6

本人

49.5.31

本人

3

(2)

57

田川クラノ

46.3.25

46.4.23

入院中

不在

47.11.29

奥医院のこと

本人

48.4.27

本人

49.9.27

本人

4

(3)

58

楢原末藏

45.8.14

45.9.22

入院中

47.2.15

本人

48.6.21

50.9.30

4

(1)

59

野上一三

46.9.18

46.10.5

不在

四女

47.10.24

奥医院のこと

本人

49.7.12

49.9.13

不在

4

(1)

60

原千壽夫

46.1.27

46.3.19

長女

47.1.14

49.7.2

本人

49.9.27

本人

4

(2)

61

秀岡盛藏

45.9.21

45.11.11

不在

46.1.19

入院中

48.10.4

本人

50.5.30

本人

4

(2)

62

森アイコ

46.1.13

46.2.9

入院中

48.1.29

本人

49.9.27

3

(1)

63

山本アサノ

46.4.19

46.5.21

入院中

47.1.24

入院中

47.7.19

不在

48.10.4

本人

49.9.27

5

(1)

64

上田サトコ

45.1.31

45.3.23

入院中

49.12.9

本人

50.5.1

本人

4

(2)

65

畑岡眞之助

46.4.6

46.6.4

奥医院のこと

入院中

47.2.2

入院中

2

(0)

66

畑中トヨノ

45.8.11

45.10.5

入院中

46.3.9

本人

47.12.5

48.8.7

本人

4

(2)

67

波戸岡義明

45.4.17

45.6.13

入院中

50.7.30

本人

2

(1)

68

有助ナルミ

45.9.8

カードなし

69

打明とも江

45.10.20

カードなし

70

大橋ハナコ

46.9.6

カードなし

71

川原シノブ

45.7.1

カードなし

72

小倉國太郎

46.8.20

カードなし

73

小倉コサダ

46.8.20

カードなし

74

三田董枝

46.5.11

カードなし

75

友成栄市

46.8.25

カードなし

76

野坂トシコ

46.6.11

カードなし

77

濵本アヤメ

46.7.5

カードなし

78

平岡松市

46.2.18

カードなし

79

馬越フミヨ

46.4.12

カードなし

80

松葉タカエ

カードなし

81

向井信夫

45.11.7

カードなし

82

栁本キヌヨ

45.11.10

カードなし

83

村上ヤスコ

46.5.19

46.6.8

不在

46.6.22

不在

46.7.22

長男

3

(0)

行使の要件が「必要があると認めるとき」と定められていて、都道府県知事あるいはその委任を受けた保健所長等の専門技術的立場からの合理的判断に委ねられており、他方、同法にも個別の国民の側からの権利保護のための格別の規定が設けられてはいないことからして、個別の国民に対する職務上の義務を定めたものと解することはできない。

3  地方自治法、保健所法その他の法令にも、都道府県知事又は保健所長の個別の国民に対する職務上の義務を定めた規定は見当らない。

4  しかしながら、結核の、殊にその集団発生による損害の重大性、結核予防法が結核の予防及び結核患者に対する適正な医療の普及が公共の福祉の増進にも連なる重要事と把握していることに鑑みれば、都道府県知事又は保健所長が結核の集団発生の切迫の具体的危険性を認知し得、その発生又は被害の拡大防止のためには都道府県知事又は保健所長が緊急の措置を取るしか方法がなく、またそれを取り得ると認められる場合には、明文の規定はなくとも結核予防法全体の趣旨又は条理により、右措置を取ることが都道府県知事又は保健所長の個別の国民に対する職務上の義務として要請され、その義務のけ怠は不作為の違法と評価され、国及び地方公共団体は、国家賠償法一条一項(地方公共団体については三条一項により)の責任を負うことになるものといわなければならない。

5  この点に関連して、控訴人らは、都道府県知事又は保健所長の調査究明義務は何らかの異常を認知し得た時点で発生するかのように主張する。

しかし、右主張は正当とは考えられない。けだし、右の調査究明義務というのが、関係書類を調査するなどして異常の原因を究明する行政内部における職務上の法的義務をいうのであればともかく、控訴人らのいうのは、そうではなくて、患者に対し直接面接調査しあるいは特定の病院・診療所について診療状況を調査するなどすることが個別の国民に対する職務上の法的義務であるというもののようである。しかし、都道府県知事又は保健所長が右の時点でそのような調査究明を行うということは、行政の不当介入のそしりを免れず、前述の法文の規定や都道府県・保健所の人員組織の点から考えても、都道府県知事又は保健所長が右の時点で個別の国民に対しそのような職務上の法的義務を負うとは到底考えられない。

三本件における広島県知事・因島保健所長の不作為の違法の有無

そこで、次に、本件の事実関係に即して、二4で前述した都道府県知事又は保健所長の個別の国民に対する不作為の違法が認められるか否か、具体的には、広島県知事・因島保健所長が本件骨関節結核集団発生の具体的危険性を認識し得たか否か、またその発生又は被害の拡大の防止のために実際にとられたより以上の適切な方法を取り得たか否かを、控訴人らの主張する各時点毎に検討する。

この場合、作為義務判断の基準となるのは、都道府県知事についても保健所長についても、その地位・職務における標準的な公務員であり、二1、2で前述したようにその公務員の権限行使に専門技術的裁量が認められている場合には、その裁量権の行使が著しく合理性を欠き社会的に妥当でないかどうかである。

1 昭和四五年三月の時点

因島保健所には、昭和四五年二月に三名の骨関節結核患者の新規登録があり、同年三月にも一名の骨関節結核患者の新規登録があった。同保健所の昭和四三年の新規登録骨関節結核患者は四名であり、昭和四四年のそれは二名であったから、昭和四五年はすでに三月の時点でほぼ通常の年間新規登録者に該当する骨関節結核患者が現れたことになる。

しかし、昭和四五年三月の時点では、新規登録者の絶対数が四名という少数であるため、年度による偏差ということも考えられないわけではなく、のちに2で詳しく検討する、当時の骨関節結核の病理についての医療関係者一般の認識、過去の骨関節結核集団発生の事例の有無等をも併せ考慮すれば、県知事又は保健所長において、骨関節結核集団発生の具体的危険を認識し得たとは到底認められない。

原審証人岩崎龍郎は、右時点でも明敏な者なら骨関節結核の集団発生を予見できる旨証言するが、同証人のように格別に明敏な者ならともかく標準的な結核予防行政担当者(医師であっても)を前提とする限り、右証言は、当審証人重松逸造、同春日齊の各証言に照らし採用できない。

2 昭和四五年五月の時点

その後、因島保健所には、昭和四五年四月に四名の、同年五月に一名の骨関節結核患者の新規登録があった。したがって、昭和四五年五月の時点では、五か月の間に合計九名の骨関節結核患者の新規登録者が出たことになり、同保健所のそれまでの年間の新規登録者の数からいえば、かなり多いものということができる。

しかし、右の時点で、県知事又は保健所長において骨関節結核の集団発生、殊に人為的な原因による集団発生の具体的危険を認識し得た、あるいは因島保健所長の取った措置が著しく不合理で社会的に不当である、とは認められない。

その理由は、以下に述べるとおりである。

(一)  医学専門書や結核に詳しい医師は、骨関節結核の特性について、次のように説明している(甲第一号証、乙第六七、第七九号証、原審証人大谷清、同西本幸男、同岩崎龍郎、当審証人重松逸造、同春日齊)。

(1)  骨関節結核は肺からの二次感染として発病するのが通常で、骨関節結核のような肺外結核が一次感染として発病するのは例外中の例外である。

(2)  骨関節結核は、通常排菌しないので、伝染することは極めて少ない。

(3)  骨関節結核に限らず結核は、慢性疾患であり、感染後の潜伏期間が長く、発病後も緩慢な病状経過を辿る。

このような骨関節結核の特性は、多少数的に多い骨関節結核患者の発生があっても、直ちに骨関節結核の集団発生を想到せしめず、むしろ骨関節結核患者の背後に肺結核患者ないしその予備軍がいるのではないかとの疑問を生ぜしめることになる。

(二)  昭和四五年当時、本件のような特定の病院・診療所における個別の患者に対する診療行為に関連して骨関節結核が集団発生した事例は、報告されていない(甲第一七、第一八号証参照)。

もっとも、控訴人ら指摘の接種感染による結核集団発生の事例は、五件報告されている。ただし、うち三重中耳結核事件、和歌山中耳結核事件、佐原関節結核事件の三件は、本件発生後に発生又は報告されたものである。しかも、本件発生前に報告されていた道場村事件及び岩ケ崎町事件は、いずれも集団の予防接種の際の感染によるもので、個別の接種感染が多発したという事例ではない。

したがって、本件の事例に類似し参考となる事例の報告は、本件以前にはなかったといってよい。

(三)  右(一)、(二)からすれば、昭和四五年五月当時、医療関係者一般の間には、あるいはさらに限定して保健所長等結核予防行政を担当する医師の間でも、集団予防接種の感染の場合(この場合は、保健所長は早期に認識し得る)を除き、骨関節結核は集団発生することがある、その原因究明と被害の拡大防止は緊急を要するとの認識・知見が一般的に確立していたとは認められない。

原審証人玉井国昭が、一〇名余りの骨関節結核患者を診察した段階で、奥医院で治療を受けた患者に骨関節結核が多発しているらしいとの認識を抱いてからも、その原因は、ステロイド注射により骨関節にいた結核菌が活動を始めたためであると考えていた旨証言していて、当時注射による接種感染の可能性は考えていなかったことや、原審証人大谷清が、臨床的に骨関節結核の多発は考えられない、骨関節結核の診断自体疑問である旨証言しているのも、昭和四五年当時の、骨関節結核の集団発生についての専門医師一般の認識・知見を示すものといえよう。

(四)  昭和四五年五月ころまでに因島保健所長にもたらされた情報の中に、骨関節結核が集団発生している、特に奥医院の通院者ないし奥医院で関節注射を受けた患者の中に骨関節結核の患者が多発している、といったことを窺わせる情報は見当らない。

前記のとおり、昭和四五年五月までに九名の骨関節結核患者が登録されており、これらの患者については、結核登録票が作成され、公費負担申請書が提出され、保健婦の訪問指導がされている。しかし、それらの中に、これら患者の骨関節結核の原因が奥医院での治療にあることを窺わせるものはない。

控訴人らは、竹田ウメノの公費負担申請書(甲第二六一号証の一)の備考欄に「膝関節病があり某医にて膝関節注射を受けていたが、膝関節の発赤、腫脹、疼痛あり、感染と診断」との記載があることを指摘するが、右記載をもって直ちに、特定の医院での治療により骨関節結核が集団発生する具体的危険性を認知し得るとは到底認められない。

そのほか、結核登録票の既往症欄に奥医院への通院の記載があるもの(田頭カナヨ―甲第三四四号証の二一、村上シズエ―同号証の二、川本勝―同号証の一三、岡野孝子―同号証の三八、松本トキノ―同号証の二四、松原勇―同号証の一六)や、保健婦の訪問カードの既往症欄に奥医院への通院の記載があるもの(田頭カナヨ―乙第五四号証の二一、)松本トキノ―同号証の二四、松原勇―同号証の一六)があるが、結核登録票は医師からの届出を補完する結核医療費公費負担申請書に基づいて作成されるものであるところ(甲第五〇号証参照)、前記結核登録票に対応する結核医療費公費負担申請書(田頭カナヨ―甲第二六二号証の一、村上シズエ―甲第二六四号証の一―川本勝―甲第二六五号証の一、二、岡野孝子―甲第二六七号証の一、松本トキノ―甲第二六八号証の一、松原勇―甲第二六九号証の一)には該当事項の記載はないし、保健婦の訪問カードの記載も、訪問内容の記載が昭和四五年当時は比較的簡略で昭和四六年以降次第に詳しくなっていっていることや、石原猛の訪問カード(乙第五四号証の四四)では昭和四六年七月一日の欄に、三保谷ツルエの訪問カード(乙第五四号証の五一)では昭和四七年一〇月三一日の欄に初めて奥医院通院の事実が記載されていることなどからすれば、前記結核登録票や訪問カード中の既往症欄の記載が昭和四五年五月の段階ですでになされていたかどうかは極めて疑わしく、それよりずっとのち奥医院通院と骨関節結核との関連が明確に意識されだしてから記載されたものとみられる。

(五)  控訴人らは、骨関節結核は肺結核からの二次感染によって発病するのが通常でそれ自体伝染のおそれがないとしても、骨関節結核患者が肺結核を併合している蓋然性は高いし、その傍に別に感染源となる肺結核患者がいる可能性もあるから、迅速な初期活動が必要とされることに変わりはない旨主張する。

しかし、問題は、初期活動の内容であって、前記のような骨関節結核の特性とそれについての保健所長を含む専門医師の認識からすれば、定期健診の結果を待って肺結核の発生状況を見極めるという措置は、極めて通常の措置と考えられるのであって、それ以上の措置に出なかったことをもって、初期活動の不作為に著しい不合理があったと認めることはできない。

(六)  控訴人らは、また、二次感染による骨関節結核は或る月にまとまって多数発生するといったことは考えられないし、他方、過去の結核統計や毎月の肺結核患者の登録数から因島市に肺結核が多発していないことは容易に認識し得たから、因島保健所長としては、昭和四五年五月段階での骨関節結核患者の登録数から人為的原因による骨関節結核の集団発生を疑うべきであった旨主張する。

しかし、因島保健所の昭和四五年五月段階での骨関節結核患者の登録数は、従来の年度との比較や人口比・結核患者全体に占める比率からすれば少ないとはいえないとしても、絶対数がそれほど多くないのであるから、患者発生の月による偏りも考えられないことではなく、他方、因島市における呼吸器系結核の新規登録者数は、昭和三〇年代は三六年を除き毎年一〇〇名を超え、中には二〇〇名を超える年もあり、昭和四〇年代に入ってからも、昭和四〇年九〇名、昭和四一年八三名、昭和四二年七四名、昭和四三年六九名と減少傾向にあったものが、昭和四四年八〇名、昭和四五年八五名と増加傾向に転じていたのであるから、骨関節結核の増加の背後に肺結核の増加を予想することは必ずしも不合理ではなく、さらに、前記のとおり専門医師の認識としても、骨関節結核の人為的原因による発生といったことはおよそ考えられてはいなかった当時の状況からすれば、因島保健所長として、昭和四五年五月段階での骨関節結核患者の登録数のみから直ちに人為的原因による骨関節結核の集団発生を疑うべきであったとすることはできない。

(七)  控訴人らは、さらに、本件患者らの骨関節結核には、自然感染による骨関節結核の特徴である一次感染の肺結核の合併症ないし既往症がない、骨関節結核の中で一番発生の多い脊椎カリエスが少なく、骨や関節の中でも一番発生部位の多い股関節ではなく膝関節に発生している、自然感染にはない複数部位での同時発生の例がある、家族感染がないなどの特徴があったのであるから、因島保健所長としては、自然感染ではなく人為的原因による集団発生を疑うべきであったと主張する。

しかし、本件患者らのすべてに控訴人ら指摘のような特徴があったわけではなく、そもそも結核医療費公費負担申請書や訪問カードを見ただけで、本件患者らに共通の特徴を見出すといったことは不可能に近いといわなくてはならない。

(八)  そのほか、控訴人らは、腸チフスやコレラの例を挙げて昭和四五年五月当時すでに疫学調査の方法は確立しており、本件でも骨関節結核集団発生の調査は容易になし得たと主張する。

しかし、骨関節結核を腸チフスやコレラなどの例と同日に論ずることができないことは、前記骨関節結核の特性とこれについての当時の専門医師の一般的知見に照らし明らかである。

(九)  以上のとおりであって、昭和四五年五月の時点では、因島保健所長としては、骨関節結核患者の発生数が通常の年にくらべてかなり多いということは認識し得たと思われるが、それが人為的な原因による集団発生であるとの認識にまでは到達し得ず、同年秋に行われる定期健診の結果をみて対応しようとした措置に著しい不合理があったとは認められない。

3 昭和四五年八月の時点

その後、因島保健所では、昭和四五年六月に一名、同年七月に一名、同年八月に九名の骨関節結核患者の新規登録を受けている。昭和四五年一月からの骨関節結核患者の新規登録数は合計二〇名に達したことになる。しかも、同年八月分のそれは一か月に九名という多さである。したがって、この時点では、因島保健所管内の骨関節結核患者の発生が異常に多いということは、客観的にも認識し得る状態になっていたものということができよう。

しかし、2で詳述した骨関節結核の特性とこれについての当時の専門医師の一般的知見からすれば、右時点でも、因島保健所長として、右骨関節結核患者の異常発生が人為的原因によるものであるとの認識に達すべきであったとまではいうことができず、すでに翌九月からに予定していた因島市全域の定期健診の結果に待つべきものとした因島保健所長の措置に著しい不合理があったと認めることはできない。

4  昭和四五年九月以降

因島市長が行った昭和四五年秋の定期健康診断が終わったのは昭和四五年一〇月五日であり、その結果は同年一一月には因島保健所長に報告されたものと認められるし、因島市長以外の事業者及び学校長らが行った定期健康診断の結果も同年一二月には因島保健所長に報告されたものと認められるが、これら定期健診の結果、前記骨関節結核患者の異常な増加に見合うような肺結核患者の発生は認められなかった。他方、因島保健所への骨関節結核患者の新規登録者数は、昭和四五年一二月には、二八名に達している。

したがって、昭和四五年一二月の時点では、因島保健所長としては、前記骨関節結核患者の異常発生が、接種感染によるものだとまでは認識し得なかったとしても、通常の自然感染とは異なるとの認識は持ってしかるべきであり、そうである以上、骨関節結核のみがなぜこのように異常に増加したのか、その原因の調査究明をすべきであり、危険の重大性、切迫性からすれば、それは本件患者らに対する作為義務と認められ、その義務のけ怠があれば不作為の違法の評価を受けるものといわなくてはならない。

原因の調査究明のためには、登録のあった骨関節結核患者らの病名・病状の確認、確認された患者の場所的・人的交流の状況、既往症や従前の治療・通院状況の調査確認、それらのための患者各人に対する聞取り調査や主治医に対する事情聴取、さらには潜在する骨関節結核患者の発見調査等の作業が必要と考えられるが、本件訴訟にあらわれた過去のこの種実態調査の例からしても、本件で奥医院での感染が原因であると判明するには、やはり二、三か月の期間を要するものと考られる。この点について、当審証人重松逸造は、一〇名くらいの共通原因の調査は一、二週間で答えを出すことが可能である旨証言し、当審証人中川喜幹は、一〇名程度の患者の共通項の調査に必要な期間は一週間くらい、奥医院に対する措置をとるのに必要な期間は二週間くらいである旨証言するが、調査対象となる人員の数が異なるし、本件患者らは奥医院以外にもいくつかの病院に通院している者が多く、調査にあたる保健所の人員組織や調査権限上の制約(例えば、患者らを調査して感染源である病院・診療所を特定することなしにいきなり当該病院・診療所に立ち入る等のことは行政の不当介入のそしりを受けることとなって許されないであろう)等からして、本件で各患者から奥医院通院という共通項を引き出すには相当の手間がかかるものと推測されるから、右各証言によることはできない。

とすれば、因島保健所長が奥医院に通院していた患者に対し何らかの骨関節結核の予防措置を取り得たのは、昭和四六年二、三月ころからであると考えられる。

ところが、奥医師は昭和四五年一一月二四日死亡し、奥医院もそのころには閉院していたから、昭和四六年初め頃には、もはや同医院での医療行為に起因して新たに結核患者が発生する危険は存在しなかったものということができる。

そうすると、因島保健所長に本件患者らに対する法的な作為義務を肯定することはできない。広島県知事についても同様である。

この点について、控訴人らは、因島保健所長が適切な措置を講じておれば、奥医院での医療行為の中止が問題にならないとしても、結核に感染しながら未だ発病していない者及び発病しながらその原因が接種結核とはわからないで治療を受けていないか別の治療を受けた者について、結核感染の有無の診断及び接種結核に応じた治療をより早い時期に適切に行うことができ、手術による後遺症を残す等の被害の拡大を防止し得た旨主張する。

しかし、未発病者の発見は、すでに奥医院が閉院したのちのことであってみれば、奥医院に通院したことのある者についても奥医院に通院したことのない者についてと同様、現に診療を受けている医師からの届出や毎年行われる定期健診の結果に待てば足りると考えられるし、また、すでに発病している者については、結核登録もされ医師の管理下にあるのであり、骨関節結核が二次感染によるものであれ、接種感染によるものであれ、骨関節結核としての症状に応じた治療がなされると考えられるから、因島保健所長として特になすべきことはない。したがって、控訴人らのこの点の主張は、理由がない。

以上の次第で、広島県知事又は因島保健所長に本件患者らに対する法的な作為義務のけ怠、不作為の違法があったと認めることはできない。

第四結論

そうすると、本件患者らの被害は極めて不幸な事態ではあったが、広島県知事又は因島保健所長の不作為の違法を理由として、国及び広島県に対し国家賠償法一条一項に基づき損害賠償を請求するのは筋違いというほかなく、控訴人らの被控訴人らに対する本件請求は棄却を免れない。よって、これと同旨の原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官露木靖郎 裁判官小林正明 裁判官渡邉了造)

別紙〈省略〉

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